僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

旅立つ大切な人たちへ

春。旅立ちの季節。

最近、僕の周りに一気に年下の友人がふえてたこともあって、

学校を卒業して、働きはじめる人の話があちこちから聞こえてくる。

僕が働きはじめたのは、今からもう、8年も前になるんだなぁ。

 

あのころの僕は、期待よりも不安の方がずっと大きくて、

いつまでも学生でいたい、モラトリアムでいたいと思いながらも、

一方で、「普通の人でありたい」などという漠然とした規範と、

自分がちゃんとした人間であるという根拠のないプライドにしがみついて、必死な気分だった。

 

今、30歳をこえて、ようやくあのころの自分を客観的に見ることができるようになったようにも思う。

そんな僕から、僕の大切な友人たちへ。

お節介な言葉を贈りたいと思う。

 

僕の好きな人たちはみんな、すごく繊細で優しくて、

考えることをやめられない人ばかりだから、いつも苦しそうに悩んでいるように見える。

だけど、20代で自分の内側に入り込んで、悩んで悩んで苦しんだ人は、

その先の人生で、少しずつ少しずつ解きほぐされていくことが多いと思う。

これ以上、どんどんつらくなることは、そんなに多くないんじゃないかな。

 

今のその時点での未来予想は、たぶん当たらないよ。

今の君は、思考ばかりで経験のない、頭でっかちな状態だから。

見たことない世界を、予想することなんてできやしないんだ。

 

学生時代までの、寄り道ひとつできない電車移動を終えて歩きはじめると、

世間は思ったより無関心で、忘れっぽくて、無責任で、

君のプライドはズタズタで、努力はそれほど報われなくて、

人はみんな弱くて情けなくて必死なんだって、思い知るよ。

それはすごく恐ろしくて、なのに意外と心地よい感覚だ。

無関心は、優しい。

 

そしてもうひとつ。

世間なんてのは、Twitterのタイムラインと一緒。

自分で心地よい世間をつくっていけばいいよ。

一時的にいやーなやつと付き合わなくちゃいけないこともそりゃあるけど、

時間が経てば経つほど、自分の周りには、心地よい人だけが残っていく。

そのために、フットワークは軽くしよう。

過去や現在に、いつまでも縛られている必要なんてない。

いつでも、君自身の未来のために、選択していこう。

 

迷ったら僕のところにおいで。

僕が肯定してあげるから。