僕のなまえ。
文月煉。
僕がこの名前をつくったのは、いつだったろうか。
新しいブログをつくるために、名前をつけよう、と思って、
前からすこし憧れていた、ペンネーム風、というか、
日本人の名前に近い雰囲気の名前にした。
それまでずっと使っていたもう一つの名前は横文字で、
いかにもな「ハンドルネーム」で、その名前にはもちろん愛着があるのだけど、
やっぱり人の名前だとすぐにわかる感じだといいなぁと思ったんだ。
とはいえ文月煉は、
はじめは、誰とも交流するつもりのない便宜上の名前だった。
ところが、ふとしたきっかけで、
僕はこの名前を名乗って、新しい人たちと交流を始めることになる。
それが2月ごろ。まだ、ほんの数ヶ月前。
それ以来、文月煉の名前で僕を知ってくれる人がずいぶんふえて、
僕をこの名前で呼んでくれる人がふえてきた。
楽しいのは、この名前に、あだ名をつけてもらってること。
文月さん、文ちゃん、れんさん、煉ちゃん。
僕が生まれたときからもっている名前ではないけれど、
ちゃんとそこに人との関係があって、距離感があって、
名前を呼ばれるたびに文月煉は、人になる。
これってすごいことだ。
新しく人間が一人生まれたような。
半年前には存在していなかった人間が。
僕はあんまり自分の本名が好きじゃない。
名字が呼びやすくて、名前が呼びにくいから、
なかなか下の名前で呼んでもらえない。
名字は家族のもので、名前が自分のもの、
という思いがあるから、本当は名前で呼ばれたい。
僕を僕として、呼んでもらいたい。
自分でつくった名前は、完全に自分のものだ。
僕がつくった文月煉という名前は、
たぶん、無意識のうちに僕の願望が入っているのだと思う。
れん、という二文字の名前は、
下の名前で気軽に呼んでほしいという思いが、
込められているんだと思う。おそらくは。
今ではみんながれんさん、って呼んでくれたりしてて、
実はとてもうれしく思っている。
なんだかくすぐったい気分だ。
名前は、呼ばれることで名前になり、
名前を呼ばれることで人は人になる。
そんなふうに思う。