僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

「新型うつは甘え」とかなんとか

やはり、というか。休日は元気です。

あーこれはまさしく「非定型うつ」なんだろうなぁ。
世間で失笑気味に揶揄されている「新型うつ」ってやつが、
僕の症状なんだろうなぁ。

世間の目は結構どうでもいい生き方をしているつもりの僕だけど、
なんとなく「新型うつとは言われたくない」みたいな気持ちがあって、
ああ、これは、僕自身が偏見を持っているからなんだろな、と思う。

「新型うつ」が揶揄されるのは、
「仕事のときはうつだけど休みは元気」という症状が、
「甘えている」「ずるい」「許しがたい」と思うからなのだろうけど、
そう思ってしまう世間って相当病んでる。

「仕事も休みも元気」なのがいいに決まっているわけで、
それができないから困っているのに、
「ずるい、うらやましい」ってのはいったいどういうことだろう?
まぁ、「休職制度」とかで働かないのにもかかわらず
給料をもらっていたりすると、「ずるい」と思われやすいんだろうな。

「働かないで、楽しく遊び回っている」人はずるくて、
「一切遊ぶこともせず、身を粉にして働いている」人はえらい。
そういう価値観の社会って本当に狂っていると思うわけだけど。

人は、働くために生きるにあらず。楽しむために生きるのである。
人類の歴史ってのは、そういう方向に発展してきたはずなんだけどな。
定住も、農耕も、職業による役割分担も、機械化も、
すべては「余裕」をつくるために発達した文化だったはずだ。
発達した脳みそを活かして、人間が、自分たちだけは野獣とは違うと考えて、
「つねに命の危険にさらされて」「弱者は強者に淘汰される」
そんな「野生の掟」から逃れるための努力。
それが文化だと僕は思っている。

それなのに、社会を豊かにするための活動だった「仕事」が、
いつの間にか「意味があるかどうかなんてどうでもいいから、
やらなくてはならない」ものになっている。
現代日本において、世の中の「仕事」の半分以上は「意味のないもの」だ。
たとえば30年前にくらべて、あらゆるものの製造能力は何十倍にも増えている。
100社あったメーカーは、もう10社で十分になっている。
ということは90社は、「本来つぶれるべき」会社だ。
(もちろん、メーカーだけじゃなくてそれに付随するさまざまな会社も)
でも、日本人は勤勉だから、実際には90社のうち30社くらいは、
がんばって「新たなビジネスモデル」かなんかをつくりだして、
何とか生き延びちゃっている。
でもそんなもの、実際は、
なくても困らないものだったわけだよね。

だから本当は、世の中いらない仕事だらけだ。
僕やあなたがまじめな顔をして会社に通って、
「まともな人間として、きちんとやって当たり前」とかなんとか言われて、
失敗したりうまくできなかったりしたら思い詰めて、
世界が終わったみたいな気持ちになって、
ときに自殺したり過労死したりと、命をかけてしまう仕事のほとんどは、
全然たいしたものじゃないのだ。

 

僕のまわりの優しい人たちは僕に言う。
「仕事なんかより、あなた自身が大事だよ」
本当に本当に、その通りなのだ。