僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

映画『ホビット』を見た。

AmazonPrimeビデオに二作目までが入ったということで、
ホビット』見ました。



前に1作目と2作目は見ていたのだけど、この際、と思って2作目をもう一度見始めたら面白すぎて、
ついつい3作目もAmazonビデオでレンタルして見ました。

1作目と2作目だけプライムにするアマゾンもなかなかやるな、と思ったけど、
まぁ、3作めだってレンタルで、家から一歩も出ずに400円で見られるんだからすごい時代だ。

 

実は僕は映像を長く見ているのが苦手で、普通に2時間の映画だって結構辛くて、
一年に1つか2つくらいしか映画を見ない人なので、
2作連続、合計5時間以上映画を見たなんて、僕としてはすごすぎる。
それだけすんごい作品だったってわけで。

 

まぁ、見ればハマることは間違いなくわかっていたわけですよ。
ロード・オブ・ザ・リングのあの信じられないクオリティを考えれば、続編がつまらないわけがないじゃないか。
しかもですよ、二作目からはばっちりあのレゴラスが出てくることも知っていたわけで。

 

ああレゴラス
僕はレゴラス演じるオーランド・ブルームは世界一かっこいい俳優だと思っているわけです。
ロード・オブ・ザ・リング1作目を見たとき、僕はこう思ってたわけですよ。
「しかし、超美形のエルフはどうするつもりなんだろうなー。筋金入りのファンタジー好きの僕としては、ちょっとやそっとの美形じゃエルフとは認められないな-、ま、どうせ期待はずれなんだろうけど、ちょっくら見てみるか」
我ながらクソ生意気な高校生ですね。ぶん殴ってやりたい。
ところが、ロード・オブ・ザ・リングを劇場で見て、僕はもう言葉を失ってしまった。
なななな、なんだこれは。非の打ち所がないじゃないか。
彼は本当にエルフに違いない。そうじゃなきゃなんだっていうの??
……ちょっと熱くなりすぎました。

 

でも実際のところ、原作を比較すると、指輪物語よりホビットの冒険のほうが面白い、なんてことはありえないわけです。
だから、ロード・オブ・ザ・リングの後にホビットをやるのは無謀じゃないかな、とずっと思っていました。
指輪物語の豪華絢爛なキャラクターに対して、ホビットの冒険に出てくるのは冴えないドワーフばっかり。
いやこれ大丈夫かよ、面白くなるのかよ、という心配もかなりあり。
でも、そこはちゃんとオリジナルの話をたくさん織り交ぜて、すごい作品にしあげていました。
ロード・オブ・ザ・リング」は原作がすごいけど、「ホビット」は脚本がすごい。

 

「かっこ良くて性格も優れている英雄たちの物語」だったロード・オブ・ザ・リングと違って、
ホビットに出てくる登場人物は、弱かったり、情けなかったり、嫌なやつばかり。
旅の仲間も、熱い絆で結ばれているんじゃなくて、喧嘩ばっかりしていたり、疑心暗鬼だったり、一癖も二癖もあるやつばかりが出てくる。
でもだからこそ、「決して英雄じゃないし臆病だけど、約束は守るし仲間思い」というビルボの美点が、際立って見える。

 

戦いも、ロード・オブ・ザ・リングの方は、能動的な、強い信念のもとの戦いだったけれど、
ホビットでは、みんなほぼ巻き込まれるような形で戦っていて、そこには栄光も正義もない。
だからこそ、より人間臭くて、共感せずにはいられない、そんな作品にしあがっている。

 

 

(1/19 以下、追記)

やっぱりこの作品のいちばんの魅力は、

ビルボの「素朴で純粋な善」だと思う。

 

ホビットは神をもたない。地位も名誉も、彼らにはほとんど関係ない。

作中でドワーフたちは、ことさらに自分の血筋の良さと誇りを口にするが、

ビルボにはそんなものはなんの関係もない。

にも関わらず、ビルボの成す「善」は、誰よりもすごい。

 

理不尽にも、ドワーフ達によって彼らの富を奪い返す手伝いをさせられ、

たった一人で龍の住むところから「アーケン石」という宝物を探してこい、

と言われたときも、そんな義理はないのに恐ろしさをこらえて向かっていく。

ドワーフで唯一、ビルボのことを気にかけてくれるバーリンが、

「断ってもよいのだ。恥ではない」と告げると、ビルボはこう言う。

「行きますよ、だって……契約したから」

このシーンのビルボの演技が、秀逸だ。

彼は自分が仲間のために命がけで宝を探しに行く理由を、

「契約したから」というが、それを言う前に少し間がある。

明らかに「何を言うべきか探している間」だ。

つまりビルボは、「行きますよ、だって……」と口にしたときには、

自分でもそれがなぜなのか、わかっていないのだ。

 

ビルボは、自分の善を説明する言葉をもたない。

それこそが彼の善が、極めて素朴であり、純粋なものである所以だ。

ビルボが口にした「契約」は、

旅に出るときにドワーフたちと交わした契約のことなのだけど、

それはほとんど無理矢理に勢いでサインさせられたものであって、

大した根拠になるようなものではない。

だからそれは、「契約してしまったから断れない」というような意味ではなく、

(実際、契約を交わした当人であるバーリンが、「断ってもいい」と言っている)

「仲間の期待には出来る限り応える」「約束はちゃんと守る」

というような、ビルボにとってはごく当たり前なことなのだ。

 

実際に竜の住処に行き、文字通りの宝の山の中からアーケン石を探すときも、

ビルボは目もくらむような宝には見向きもせず、ただ仲間との約束を果たすため、

アーケン石だけを探し続ける。

そして、目を覚ました竜が吐いた炎から、命からがら身をかわしたときに、

竜の一瞬のすきを突いてアーケン石を拾う!

このシーンは本当にすごい。

その場にいるのは邪悪な竜とビルボだけ。ドワーフはひとりも見ていない。 

絶体絶命の大ピンチで、宝を諦めて裸足で逃げ出したところで

誰も責めようがない、そんな状況で。

ビルボはまだ、ドワーフのために石を探し続けていたのだ!

このときのビルボはまるで、イエス=キリストのようでさえある。

一切の見返りを求めない、純粋なる善。

それでいて、彼はそのことに対して無意識なのだ。

 

世界の行く末にまで介入する偉大な魔法使いであるガンダルフが、

一見とるに足らないように見えるホビットという種族に、

やたらと肩入れする理由が、ビルボの姿を通してよく分かる。

そしてたぶん、トールキンが書きたかったのも、そういうことなのだ。