君の世界を広げようぜ。
「世界」とか「世の中」と聞くと、なにか確固たるものがあるように思うけど、それは錯覚だ。
「世界」とは、「自分が認識できる範囲」と同義なのだから。
だからこそ、ときに「新しい世界を知って」、「世界が広がった」りするのだ。
一人の人間にとって、認識できていないものは、存在しないのと同じだ。
「職場(や学校)」と「家」しか認識していない人にとっては、そのどちらにも馴染めなかったら、「世界中の人に嫌われている」ということになってしまう。
単に今いる職場(や学校)に馴染めないだけなのに、「自分は世の中で何の役にも立たない」と錯覚したりもする。
世界は、広がるものだ。
そう認識するだけで、全然ちがう。
小さな部屋から飛び出すのが難しければ、まずは窓を開けよう。
窓の向こうに、まだ知らない何かがある、ということだけでもいい、たびたび思い出そう。
狭い世界に閉じこもっている人たちは、自分の知識を過大評価する。
「○○な人なんていない」「○○な場所なんてない」とか、すぐ言いたがる。
なんでそんなことわかるのさ。君は世界のすべてを知ってるの?
ソクラテスの言った、「無知の知」。
なにも知らないということを知ろう。
まだ出会っていない君のために、僕はここに、居場所をつくって待っているね。