メメント・モリ~死をおもうこと
僕は体がよわい。
幼いころはとくにひどくて、幼稚園は3分の1くらいを病欠していたらしい。
小学校以降はそこまででもなかったので、卒業や進級をあやぶまれることはなかったが、
それでも皆勤賞とは程遠く、毎年2,3回は風邪などで数日寝込む。
とくに熱を出すのがひどい。
小学生くらいまでは高熱からくる熱性けいれんでよく気を失って病院に運ばれていたそうだ。
これまでもっとも高かった熱は42℃で(そこまでしか測れない体温計だった)、
今でも1年に1回くらいは40℃を超える熱を出す。
世の中には「体が丈夫なだけが取り柄」ということをさもうれしげに言いたがる人が結構いて、
そういう人からの聞きかじりの、「40℃を超える熱を出すと脳みそが溶けちゃうらしいよ」
というセリフはもはや聞き飽きた。
「わたしもたまには熱でも出して会社を休みたいなぁ」とか言ってくる人に対しては、怒りを通り越して呆れる。
「病は気から」という言葉があるが、「気は病から」というのもあるのだろう。
熱を出しているとき、僕はとてつもなくよわい。
高熱による寒気や悪寒、頭痛や怠さに襲われているときは、
なにもできず、ただそれが過ぎ去るのを祈ることしかできない。
そして、限りなく悲観的になった僕の頭は、その時間が永久に続くのではないかと錯覚する。
実際には数日もすればウソのように熱は下がり、
元通りに体が動くようになるというのをいつも体験しているにも関わらず、
治るなんてことはありえない、と思ってしまう。
そうして僕は、死をおもう。
体がよわく、極端にやせていて力もない僕は、
原始時代だったら今の歳まで生きることはできずに死んでいただろうという確信がある。
僕を生かしているのは文明と、知性の力だ。
理屈っぽいとか理論武装とか言われるが、そうしないと僕は、
文字通り、死んでしまうのだ。
だから僕は、遠い未来のために今を犠牲にすることをよしとしない。
遠い未来なんて、僕にはないかもしれないのだ。
別に不治の病に侵されているわけでもないのにこんなことを言うのは、
大袈裟で自意識過剰で、自己陶酔にすぎないことはわかっているけれど。
まずは今を生きよう。
もし僥倖にも、十年後生き残っていたら、そのときは十年後の今を生きよう。