僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

「生きることは楽しむこと。」

これは、僕が小学校六年生の時に書いた、卒業文集用の作文の題だ。
社会のことなんて全然わかっちゃいないがきんちょだったけど、
我ながらいいこといったもんだなぁ。ちょっと生意気だけど(笑)。

大人になった自分に向けて書いたその作文には、こうあった。
「あなたは今、人を楽しませることが大好きで、
将来は人を楽しませる職業に就きたいと思っています。
今はマンガ家になりたいと思っていますが、
別にマンガ家でなくても構いません。
それが人を楽しませることのできる職業なら。
人を楽しませることで、自分が楽しくなれるのです」
僕は思わず、笑ってしまった。
なんだ、今僕がたどり着いた答えと、まったく一緒じゃないか。

そうやって小学生の頃にはわかっていたことが、
大人になってだんだんわからなくなってきた。
たぶん、「我慢すること」と「あきらめること」を覚えたからだ。
マンガ家も、その後になりたかった小説家も、
「子供の頃に漠然と持っていた非現実的な夢」だと割り切って、
「まぁ、普通にまともな社会人になるよ」と笑っていた。

大学生になって、就職活動をするようになったとき、
僕はすぐに営業になろうと決めて、企業を回り始めた。
営業という仕事がどんなものであるかもわからないのに。
決めた理由はそれが、
「文系の大学生が就職するのに一番現実的な職業」だったからだ。
就職活動中に自己分析なんかをして、
「話すのが好きだし、物事を論理的に考えるのが得意。営業には向いている」
なんて結果を出して、自分を説得してそのつもりになったりもしていた。
実はその頃から、文章を書くのに夢中になって、
小説を書いてホームページで公開したりしていたけど、
小説家になろうなんてことは考えられもしなくて、
「普通のサラリーマンやりながら、
趣味で一生書き続けていれば満足」だと思った。

実際に企業に就職して、営業マンになった。
仕事は思っていたよりもずっと面白くて、
ああ、社会はこんな風に成り立っているんだと実感したりもした。
お客さんや工場とのやりとりを重ねて、
「意外と世の中は、合理性ばかりじゃなくて、
人間と人間のやりとりで成り立っているんだ」
とうれしく思ったこともあった。

一方で、忙しい仕事の中で上司や先輩たちが、
山ほどのことを「あきらめて」生きていることを聞いて、悲しくなった。
「仕事だからしょうがないよ」「まぁ、そんなもんだよ」
そんな言葉があたりに散らばってる。
そもそも、長く続いてきた会社の理念自体、
誰もわからなくなっているような感じだった。
「こういう事業がやりたい」と創業してからすでに何代も変わって、
千人近い社員を抱えて、「存在すること」が存在意義になっていた。
そこではもう、売り上げにつながらない精神論は必要とされていなかった。
僕は何でもかんでも深く考えてしまう自分の性格を持て余して、
それを休日の余暇の方に追いやっていった。
仕事が忙しくなってくると、余暇を優先するわけにはいかなくなる。
どうしたら人を楽しませるか、社会をもっと楽しくできるか、
そういうことを考えるのが大好きだったのに、
それは仕事に比べて、取るに足らないこととして扱わなくちゃいけない。

だから僕は、仕事を辞めた。
何よりも、自分がおじいちゃんになった時に、
「僕は本当はこんなことをやりたかったわけじゃない」
なんて言い訳がしたくなかったんだ。

仕事と楽しむことは別、なんじゃなくて、
僕が楽しいと思うこと、それを誰かに伝えること、
それが誰かの楽しみになり、だから仕事になる。
そういう仕事を、見つけなくちゃいけないと思った。

地位も名誉もお金も、そんなにたくさんは欲しくない。
だけど自分が楽しむことについて、僕はとても欲張りだ。