僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

じたばたしてます。

我が家には今、奥さんと恋人の二人がいる。
それだけ聞くと、まさに修羅場な案件だけど、
もちろん二人とも僕の生き方を知っているから、
それだけでは修羅場になったりはしない。

むしろ、二人が仲良くなって、
三人で過ごす穏やかな時間には、
「ああ、こんなにうまくいくものなんだなぁ」と感動して、
しあわせをかみしめていたりする。

三人が三人とも元気なときだったら、
きっとこの生活はとてもうまくいっていたのかもしれない。
三人で、ときどき二人で、
それぞれが少しずつそれぞれを思いやりながら、
いろんなところに出かけたり、家でまったりして過ごしたり、
おいしいものを食べたり、お酒をつくってパーティーしたり。

でも、実際にはこの生活は、自分たちで選択したものではなくて、
いろいろな状況が積み重なって不可抗力的にはじまったもので、
奥さんも恋人も――心身ともに――かなり元気ではないときで、
僕にも準備や覚悟が足りていなくて、
それぞれが疲れはて、他人を思いやる余裕なんてない状況だった。
くたくたになって、どろどろに甘やかしてもらいたい気分のときに、
予期せぬ共同生活でどうしても気兼ねしてしまって、
存分に甘えることができない。
僕自身、二人に同時に、100%で向き合うことができなくて、
それに罪悪感を覚えて、どんどんと疲れていっている。

僕は言葉ばかりが達者な人間で、
このブログでもさんざん理想論のようなことを言ってきて、
みんながお互いを思いやれれば理想は実現する、なんて主張してきたけど、
「お互いを思いやれる状況」なんて、そんなに余裕があるときなんて、
とても貴重で、実現するのが難しい状況なんだよね。

いつだって僕らはなにかに疲れていて、
そうそう理想通りに思考や感情や体を、コントロールできたりはしないんだ。
だから僕は毎日、理想と現実のギャップにうちひしがれて、
ときにすり減って、ときにとてもつらくなっている。

でも、僕はあきらめないよ。
今だって、すごくすごくつらい時間のあとに、
どうしようもなくしあわせな時間が、不意にやってきたりするんだ。
どれだけ苦しくても、止めどなくあふれてくる愛しさを、
それを感じることができるうれしさを、
僕はあきらめきれないんだ。

だから今日も、僕は。
じたばたしています。