レインボーアイコンと「当事者」「非当事者」について
最近、SNS上でアイコンをレインボーに加工する人が増えている。
よくわからない人のために説明すると、
レインボーカラー、特に六色の虹は、「セクシャルマイノリティ」あるいは「LGBT」のシンボルとされている。
ここ数日で急激にレインボーアイコンが増え始めたのは、
アメリカの連邦最高裁判所で「同性婚は憲法上の権利である」と認められ、
実質的に全米で「同性婚合法化」が決まったことを受けて、のことだ。
このレインボーアイコンに関して、Twitterで以下のようにつぶやいたところ、大きな反響があった。
Facebookでレインボーアイコンが流行っているようで。「異性愛者がレインボーアイコンにするな」みたいな意見が散見されるのだけど、これってちょっと意味がわからないな。「当事者」以外が賛成の意を示すのはおかしい、といいたいのかな?殺人を非難するのは殺された人でないといけないのか?
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 28
@fuduki_ren 多様な価値観が認められるのは、異性愛者にとっても、誰にとっても喜ばしいことだよ。めぐりめぐって自分の利益にもなると思う。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 28
「ヘテロのレインボーアイコンによる『理解者アピール』は偽善だ!」とかいう意見もあるのか……。理解者と非理解者が入り交じるこの世界で、理解者であることをアピールするのってわりと意味あると思うけどな。あと昔から偽善を批判する人は相手にどうしてほしいのかよくわからない。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 28
あとはあれだね。「当事者」と「非当事者」という二元論的な、固定しているかのようなわけ方もちょっとちがうかなと思うよ。いろんなことについて言えるんだけど。境界はいつもあいまいで、自分の立ち位置だってとても流動的なもんだ。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 28
これらのツイートが、たくさんリツイートされた。
賛成にせよ、反対にせよ、多くの人の関心を引いたのだと思う。
これがいいたかった!という賛成のコメントのほかに、多かったのはセクシャルマイノリティ当事者や、熱心にその支援をしている方からの反論だ。
その多くは、「今までセクシャルマイノリティへの迫害や抵抗に関心もなかったくせに、軽々しくレインボーアイコンを使うことで、さも理解者であるような顔をされるのは頭にくる」というものだ。
それらに関しての僕の発言は、以下の通り。
レインボーアイコンについて。図らずもいろんな人の意見をみられて勉強になる。「レインボーフラッグには歴史があり、迫害に抵抗する覚悟があった。今、迫害の危険がない安全なところで、非当事者が軽々しくノリで使うのは頭にくる」という当事者の考えは、感情的にはわかるなぁ、と思ってしまう。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 29
@fuduki_ren 「感情的にはわかる」なんだけど、現実的には悪手。「迫害してきたマジョリティが、マイノリティの味方面をするのが許せない」っていう考えは、最終的には「マジョリティとマイノリティの全面戦争」にしかたどり着かない。そうなればマイノリティは排除されるしかない。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 29
@fuduki_ren 少なくともアメリカでは、「軽いノリでレインボーアイコンにしちゃうようなマジョリティ」が、現在の「同性婚が受け入れられる雰囲気」をつくったわけだからね。そうじゃないとマイノリティは永久に多数決で勝てないし。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 29
合理性も感情もどっちも大切だからね。決して「レインボーアイコンがたくさん増えて不快」と言う人がいけないわけじゃない。どうして不快に思うんだろう?と思っていたところの一部が理解できたのはよかった。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2015, 6月 29
僕の立場は、まぁ「非当事者」に近いのだろう。
僕は「ヘテロ」で、さらにいえば「異性婚者」だし、「ポリアモリー」がLGBTの文脈には入れるかは微妙なところだし。
だけど、「多様な恋愛が認められるべき」だと思っているし少しずつ、「セクシャルマイノリティ」が社会に受け入れられつつある現状を、祝福したいという気持ちがある。
(厳密に言うと、「同性婚」が認められるよりは、もっと多様に、結婚しなくても不利益を被らない社会をめざしてほしいと思っているんだけど)
非当事者だけど支援する「アライ」としても、広い意味でのセクシャルマイノリティの「半当事者」としても、自分にとって居心地のいい社会をつくりたい、という利己的な欲求としても、
社会がいい方に変わっていく方法を、模索していきたいと思う。