僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

レインボーアイコンと「当事者」「非当事者」について

最近、SNS上でアイコンをレインボーに加工する人が増えている。

よくわからない人のために説明すると、
レインボーカラー、特に六色の虹は、「セクシャルマイノリティ」あるいは「LGBT」のシンボルとされている。
ここ数日で急激にレインボーアイコンが増え始めたのは、
アメリカの連邦最高裁判所で「同性婚憲法上の権利である」と認められ、
実質的に全米で「同性婚合法化」が決まったことを受けて、のことだ。

このレインボーアイコンに関して、Twitterで以下のようにつぶやいたところ、大きな反響があった。

 

 

これらのツイートが、たくさんリツイートされた。

賛成にせよ、反対にせよ、多くの人の関心を引いたのだと思う。

これがいいたかった!という賛成のコメントのほかに、多かったのはセクシャルマイノリティ当事者や、熱心にその支援をしている方からの反論だ。

その多くは、「今までセクシャルマイノリティへの迫害や抵抗に関心もなかったくせに、軽々しくレインボーアイコンを使うことで、さも理解者であるような顔をされるのは頭にくる」というものだ。

それらに関しての僕の発言は、以下の通り。 

 

 

僕の立場は、まぁ「非当事者」に近いのだろう。

僕は「ヘテロ」で、さらにいえば「異性婚者」だし、「ポリアモリー」がLGBTの文脈には入れるかは微妙なところだし。

だけど、「多様な恋愛が認められるべき」だと思っているし少しずつ、「セクシャルマイノリティ」が社会に受け入れられつつある現状を、祝福したいという気持ちがある。

(厳密に言うと、「同性婚」が認められるよりは、もっと多様に、結婚しなくても不利益を被らない社会をめざしてほしいと思っているんだけど)

 

非当事者だけど支援する「アライ」としても、広い意味でのセクシャルマイノリティの「半当事者」としても、自分にとって居心地のいい社会をつくりたい、という利己的な欲求としても、

社会がいい方に変わっていく方法を、模索していきたいと思う。