安全圏から他人を断罪するという快楽に抗え
不倫を非難するのはバカバカしいけど、それはともかく、今回の小室哲哉さんの話は不倫でさえなくない?妻が病気で娘のような存在になってきて、支えるためにも他の大人の力を借りたって話、どこらへんが倫理にもとるのか説明してほしい。それを「言い訳」と言う人、あんたが生きてる自体言い訳だよ。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) 2018年1月19日
Twitterでこうつぶやいたところ、かなり多くの反応を得た。
こういうことに共感する人は日に日に増えているのだろう。
にも関わらず、こういう馬鹿げた報道は減らないし、
テレビのワイドショーは相変わらずこの手の映像垂れ流し、
コメンテーターは「介護を言い訳にした不倫はよくないですよね」と知った口を叩く。
メディアが悪いのは間違いないが、確かにそれを求めている人がいる、
というのはよく分かる。
他人を安全圏から断罪するのは、「気持ちいい」のだ。
かつて、江戸時代や中世のヨーロッパで、あるいは現代の中東などの一部の国で、
「公開処刑」が最大の娯楽として通用しているのと同じ原理だ。
資本主義経済では、お金を稼ぐことは善とされる。
原則として、
「たくさんお金をもらえるということは、
それを求めている人に応えているということだから、
より多くの人をしあわせにしている。
だからそういう人は多くの見返りを受ける権利がある」
という考え方。
だからタレントのスキャンダルや暴露報道なんかも、
「知りたいという人がいるからそれに応えて何が悪い」と言いがちだ。
でもこの理屈では、覚醒剤を密売して大儲けする人を非難できなくなってしまう。
「職業に貴賎なし」と言うけれど、それは嘘だ。
がんばって仕事をすればするほど、人を傷つけ、社会を悪くするような仕事もある。
倫理を持たずにする仕事は、尊くない。それは奴隷の仕事だ。
僕自身の譲れないわがままとして、
生きるために倫理を捨てて、社会を悪くするような仕事に従事することがないように、
誇りをもって生きたいと思う。