僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

「ウイルスは笑うか?」 by 文月煉 @fuduki_ren (お題バトル0411参加作品)

【使用したお題】

森 ウイルス 花 雨 叫ぶ 笑い 20代 青空

 

 

ウイルス(ラテン語: virus)は、他生物の細胞を利用して自己を複製させる、極微小な感染性の構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。生命の最小単位である細胞やその生体膜である細胞膜も持たないので、小器官がなく、自己増殖することがないので、非生物とされることもある。
Wikipediaより>

 

 ウイルスは、我ら人類の宿敵である。前世紀末、世界中で猛威を振るったウイルス禍により人口を大幅に減らして以来、そのことは人類にとって揺るぎない事実となった。今世紀はウイルスの悪意に対する人間の闘争の世紀と言っても間違いなかった。
 だが、ケイト・モロズミの研究テーマは、そうしたテーマから一歩外れたところにあった。「ウイルスは笑うか?」そのテーマをアカデミーのラボで発表したとき、ラボのミーティングルームは、失笑に包まれた。人類にとってウイルスは憎むべき宿敵であり、それが笑うかどうかなどということは、思い浮かべること自体が不謹慎とも思われた。だが、強情さならアカデミー1と噂される20代の若き研究者ケイトは、譲らなかった。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
 ケイトは、前世紀に存在した、世界第2位の巨大国家に伝わる古い故事を引用して主張した。
「敵が何を喜び、何をもって笑うのか。それを解明することが、人とウイルスとの長い戦いに終止符を打つための鍵であると、私は思います。そうすれば、もしかしたらウイルスと共存する道が、探れるかもしれない」
 ケイトが断言すると、ラボの中の空気は失笑から困惑へと変わった。誰もがケイトから目をそらし、互いに目配せをし合う。
「ウイルスと共存」などという言葉は、これまで耳にしたことがない。根絶すべき憎き敵と、よりにもよって共存、だなんて。
 ただ一人、ラボの最長老であるモリヤ博士だけは目をそらさず、ケイトをまっすぐ見つめてこう言った。
「森に、行くといい」

 それから約半年後、ケイトは森に行くことになった。
 本当はすぐにでも行くつもりだったのだが、【居住区】から出るための手続きに手間取り、こんなに遅くなってしまったのだ。
 全世紀末、ウイルスとの戦いに半ば敗北した人類は、完全に無菌処理が施された狭い【居住区】に閉じこもることを余儀なくされた。人類以外の生物は「ウイルスの宿主となる可能性がある」とされ、念入りに【居住区】から排除された。
 皮肉にも、それからの約50年で地球上の森林は拡大の一途をたどり、今や【居住区】を一歩出れば地球全体は深い森に覆われている。【居住区】に暮らす人々は緑に包まれた森を、悪魔のようなウイルスの暮らす場所として恐れ、憎んだ。
 今や、【居住区】を出て森に入ることができるのは【対ウイルス駆逐軍】に所属する軍人だけだ。ケイトは軍にコネクションを持つモリヤ博士のはからいで、「軍属研究員」の肩書を手に入れ、半年の対ウイルス駆逐研修を受けることで、ようやく森に入る許可を手にしたのだった。
 【居住区】の外へと続く分厚い隔壁の前まで見送りに来たモリヤ博士は、付添の軍人に聞かれないようにケイトの耳に口を寄せて、こう囁いた。
「森の奥に“女王の花“と呼ばれる生物がいるらしい」
 目を丸くするケイトに、モリヤ博士は真剣な顔でこう続けた。
「我が家に伝わる古文書にあった一節だ。あらゆるウイルスの宿主となる花。もしも、君の仮説のとおり、ウイルスにも感情があるのだとしたら……『ウィルスが笑う』のならば」
 そして博士は、ケイトの手を握り、優しそうな笑顔を向けた。
女王の花を探すといい。それがウイルスとの和解の道に、通じるかもしれない」
 ケイトは黙ってうなずいた。それから、目の前の分厚い隔壁を見つめると、一度だけ深呼吸をしてから、手のひらに埋め込まれたチップを壁の認証機にかざした。

 初めて足を踏み入れた森で、ケイトは自分の五感が全て開いていくのを感じた。まず、どこまでも続く青空に圧倒される。ディスプレイで、VR映像で、これまで自分が見てきたものとはまったく違う、真実の青。自分がこんなに小さい存在なのかと思い知らされる空の大きさ。今まで知らなかった色、光、音、そして匂い。
【居住区】に引きこもってからの人類の歴史は、「自分たち」と「それ以外」を明確に分けることで、自我を保とうとしていた。対象的に、森は、あらゆるものが複雑に絡み合う「多様性」の世界だ。隔壁の内側では唯一無二でいられた人類は、隔壁の外では「無数の生き物のうちのひとつ」でしかなかったのだ。

 いつの間にか雨がふり始めていた。
 ケイトはおもむろに叫びながら、土砂降りの中を走り出した。自分の存在がとても小さく感じて、でもそれが、どこか心地よかった。われわれは地球の主人じゃない。一部なのだ。