僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

お題スケッチ『蝉時雨が止んだ時』

使用お題:蝉時雨

 夏の太陽の下、境内は蝉時雨に包まれていた。
 深い森の真ん中をほんの少しだけくりぬいたような、神社の境内。
 青々と葉をつけた高い木々に囲まれて、昼間でありながら太陽の光は遮られ、緑色の木漏れ日となって僅かに注ぎ込むのみだ。
 いつの間にか、緑の世界に白い青年が立っていた。いまどき珍しい和装が、ここにあっては誂えたように馴染んでいる。木漏れ日に斑に染め抜かれた白装束よりももっと白いのは、布の間から僅かに覗く肌。頭の後ろで無造作に括った青年の長い髪の毛だけが闇よりも黒く、その存在を主張している。
 気づけば、蝉時雨が止まっていた。無音よりも深い静寂をもたらしていた蝉時雨が消えると、却って世界全体がざわめいているように感じられた。
「お方様。ご無事で何よりです」
 騒がしい静寂の中に、白い青年の少し高い声が響き渡る。言葉と同時に、青年はその場に膝を折り、深く頭を垂れた。
 青年が恭しく跪いたその先を窺えば、黄金の毛並みを持つ狐が一匹。
 まるで青年の礼に応えるかのように、その小さな首を僅かに傾ける。幽かでもその身体が動く度、黄金色の毛並みが木漏れ日を反射して、あたりに金色の光の粒を撒き散らした。
「あまり御無理をされては御身体に障ります。どうか、本日はもう休まれますよう」
 頭を垂れたまま言葉を紡いだ青年の表情には、黄金の狐に対する深い敬愛の情が見て取れた。
 ――そちには心配をかけたな。その勧めどおり、しばし眠りに就くとしよう。
 そんな声が、聞こえたような気がした。
 実際には、蝉時雨が途絶えた境内に、一切の音は存在し得なかった。
 だがその意思は確かに跪く白い青年の心に伝わり、青年はほっとしたように息を吐く。
 蝉時雨が、戻ってきていた。
 耳を聾する蝉の大合唱が、あたりに静寂を塗りこめていく。
 青年は、ゆっくりと立ち上がった。まるで、蝉時雨の静寂を破ることを恐れるように。
 目の前にあったはずの金色の輝きは、とうに消え失せている。
 夏の太陽の下、境内は蝉時雨に包まれていた。