環境問題に対する疑問
僕はひねくれた人間だから、世間で「常識」とされていることに対しては
とりあえず「本当か?」と疑ってみたくなる。
そのひとつが、いわゆる「環境問題」というやつだ。
「自然を守る」「地球にやさしく」。
そんなことが、現代の日本では、いや、世界各国で、絶対善として語られている。
そこに疑問を挟む余地はなく、「自然を守る必要なんてない」などと、
不用意に発言したら、それこそ世界の敵とみなされかねないような状況だ。
けれど僕は、これらの言葉に強い違和感を感じる。
今日、昼頃のテレビ番組で、環境問題について取り上げたドキュメンタリーをやっていた。
そこで取り上げていたのは、「奇跡の森」。
百万年もの間高い木が育たなかったサバンナに植林をして、人工的に森を生み出した、という話だ。
その番組では、「不毛の荒地」であるサバンナに、「豊かな」森を作り出した、というふれこみで、
この活動を高く評価していた。
さらにその後では、
「渡り鳥が、ひび割れた不毛の大地に木の種を植えて、そこが緑と花のあふれた森になる」
というストーリーの絵本を作って子供たちに読み聞かせ、子供たちに環境問題に関する教育をする、
というエピソードを放映し、番組は終わった。
森、および木は、いわば環境問題のシンボルである。
森を増やすこと、木を増やすことは「自然を守る」、「地球にやさしい」行動であり、絶対善である。
メディアではそう扱われ、世間でもそのように思われている。
だが、本当だろうか?
僕はこの「奇跡の森」の話を聞いて、「なんて自然破壊をしている人たちだ」と思った。
「自然」や「環境」は、森だけではない。地球は森だけでできているわけではない。
荒地だって、砂漠だって、みな同じように「自然」であり、「環境」であり、地球なのだ。
百万年間続いていたサバンナという「自然」を破壊し、そこに森という「人工のもの」を作り出す。
これはもはや、自然破壊に他ならない。
誰もが知っていることだろうが、森には森の、サバンナにはサバンナの生き物がいる。
サバンナの生き物が森で生活することは難しい。
そこがも森に変わることで、絶滅する生物もいるかもしれない。
「奇跡の森」は、結果的にサバンナの生き物の生活環境を奪っているのだ。
もちろん、僕も環境問題というもの全てが無意味であり、害悪であるなどと思っているわけではない。
人間は、確かに地球の生物の中で最も大きく地球の環境を変化させているし、
その変化は人間にとっても歓迎すべきでないものが多い。
だから、人間は自分たちの生活を守るためにも、地球の環境を維持していかなければならない。
それは確かである。
京都議定書などによる、二酸化炭素排出削減の取り組みなど、
われわれ人間が取り組んでいかなければならない問題だと思う。
だが、それが「自然を守り」、「地球にやさしい」活動である、と考えるのは人間の傲慢ではないだろうか。
われわれはあくまでも自分たちのために、人間のために地球の環境を維持するのだ。
"地球のための"環境問題、などという考え方は捨てて、
人間のために地球の環境を利用をさせてもらっているという謙虚な姿勢で
環境問題に取り組むべきではないだろうか。
とにかく、「環境問題」といえば無批判に「絶対善」であると考えるような現代の風潮は問題だ。
木を植えたことで、環境に悪影響があるかもしれないなどということは、想像すらしない。
このような状況に、僕は甚だ疑問を感じるのである。
とりあえず「本当か?」と疑ってみたくなる。
そのひとつが、いわゆる「環境問題」というやつだ。
「自然を守る」「地球にやさしく」。
そんなことが、現代の日本では、いや、世界各国で、絶対善として語られている。
そこに疑問を挟む余地はなく、「自然を守る必要なんてない」などと、
不用意に発言したら、それこそ世界の敵とみなされかねないような状況だ。
けれど僕は、これらの言葉に強い違和感を感じる。
今日、昼頃のテレビ番組で、環境問題について取り上げたドキュメンタリーをやっていた。
そこで取り上げていたのは、「奇跡の森」。
百万年もの間高い木が育たなかったサバンナに植林をして、人工的に森を生み出した、という話だ。
その番組では、「不毛の荒地」であるサバンナに、「豊かな」森を作り出した、というふれこみで、
この活動を高く評価していた。
さらにその後では、
「渡り鳥が、ひび割れた不毛の大地に木の種を植えて、そこが緑と花のあふれた森になる」
というストーリーの絵本を作って子供たちに読み聞かせ、子供たちに環境問題に関する教育をする、
というエピソードを放映し、番組は終わった。
森、および木は、いわば環境問題のシンボルである。
森を増やすこと、木を増やすことは「自然を守る」、「地球にやさしい」行動であり、絶対善である。
メディアではそう扱われ、世間でもそのように思われている。
だが、本当だろうか?
僕はこの「奇跡の森」の話を聞いて、「なんて自然破壊をしている人たちだ」と思った。
「自然」や「環境」は、森だけではない。地球は森だけでできているわけではない。
荒地だって、砂漠だって、みな同じように「自然」であり、「環境」であり、地球なのだ。
百万年間続いていたサバンナという「自然」を破壊し、そこに森という「人工のもの」を作り出す。
これはもはや、自然破壊に他ならない。
誰もが知っていることだろうが、森には森の、サバンナにはサバンナの生き物がいる。
サバンナの生き物が森で生活することは難しい。
そこがも森に変わることで、絶滅する生物もいるかもしれない。
「奇跡の森」は、結果的にサバンナの生き物の生活環境を奪っているのだ。
もちろん、僕も環境問題というもの全てが無意味であり、害悪であるなどと思っているわけではない。
人間は、確かに地球の生物の中で最も大きく地球の環境を変化させているし、
その変化は人間にとっても歓迎すべきでないものが多い。
だから、人間は自分たちの生活を守るためにも、地球の環境を維持していかなければならない。
それは確かである。
京都議定書などによる、二酸化炭素排出削減の取り組みなど、
われわれ人間が取り組んでいかなければならない問題だと思う。
だが、それが「自然を守り」、「地球にやさしい」活動である、と考えるのは人間の傲慢ではないだろうか。
われわれはあくまでも自分たちのために、人間のために地球の環境を維持するのだ。
"地球のための"環境問題、などという考え方は捨てて、
人間のために地球の環境を利用をさせてもらっているという謙虚な姿勢で
環境問題に取り組むべきではないだろうか。
とにかく、「環境問題」といえば無批判に「絶対善」であると考えるような現代の風潮は問題だ。
木を植えたことで、環境に悪影響があるかもしれないなどということは、想像すらしない。
このような状況に、僕は甚だ疑問を感じるのである。