自己満足すること。
僕は、「自己満足したい」という欲求がとても高いのだと思う。
自己満足。大辞泉によれば、「自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること。」
大抵は、あまり良い意味には使われないかもしれない。
「他人のことを顧みずに、自分だけが満足すること」とか、
「誰の役にも立たず、自分しか満足させないもの」というニュアンスもある気がする。
けれど、「多様な価値観を認める社会」というものを考えるならば、きっと自己満足は重要なはずだ。
「他の人には分からないかもしれないけれど、本人にとっては大切な価値観を尊重しよう」というのは、
乱暴にいってしまえば、「一人一人の自己満足を大切にしよう」と置き換えることもできると思う。
また、最近よく耳にするようになった言葉に、「自己肯定感」という言葉もある。
これも要は「自己満足」を肯定的な響きがするように言い換えたものであるように思う。
「(他者から肯定されるのではなく)自分自身で自分を肯定してあげよう。」そんなイメージ。
僕自身のことをいえば、大学卒業までの僕は、
「他者から肯定されること」で自尊心を保ってきた。
特に勤勉だったわけでもないけれど、おそらくはとても運の良いことに、
僕の興味と、世間で評価される「勉強」とがそれほど離れていなかったために、
相対的に学校の成績はよかった。
ほめられることが好きで、がっかりされることを極度に恐れていた僕は、
そのまま「真面目な」生き方を続け、それなりに優秀といわれるような大学を卒業した。
正直にいえば、その頃の僕の選択基準はほとんど、
「世間的に評価されるかどうか」だったように思う。
いや、もっとはっきりいうならば、僕はずっと、
「自分が優秀でいられるようなフィールド」だけを選んでいた。
憧れの集団の一番下の方でなんとかついていこうと必死で食らいつく、
なんていう経験は全くしなかった。
だからずっと、「君はすごいね、優秀だね」といわれながら生きていたのだと言える。
自分で、そういう場所を選んでいたのだから。
そうやって世間から肯定されている間は、自己満足のことは、あまり考えないで済んだ。
もちろん、プライベートや部活動などで、「自己満足」の要求を満たしていたのだけど、
それらはあくまでも脇役で済んでいたのだと思う。
いや、そういったところでさえ、
「自分が優秀でいられなくなるような」ことを選ばなかったからかもしれない。
今、僕は、「世間的にはそれほど評価されない」人生を送っていると思う。
前の会社を辞めて、今の職場で働き始めてからは特にだ。
実際にそうであるかはともかく、そういう自覚があるのだということだけど。
だからこそ、僕はここにきて「自己満足したい!」
という思いが一気に強くなったように感じている。
「誰からも評価されなくていい。自分が幸せだと思える日々を送りたい!」
そういう考え方が自分にとって良いのか、よく分からないけれど、
その気持ちはとても心地よくて、
事実、「僕は、他の多くの人より幸せな人生を送っていると
自分で思っている」という自負もある。
だけど、たまにその「自己満足欲求」に押しつぶされそうになることもある。
自分自身が「自己満足の審査員」であるわけだけど、
それが時々、「まだまだ満足していないぞー」と注文をつけてくるのだ。
前の会社にいたときは、仕事の内容に自己満足できなかったから、
家ではひたすらに小説を書いた。
仕事が忙しかったりして書けないと、
満たせていない自己満足欲求がたまりにたまって、不満で仕方なかった。
今もその名残があって、休日に何も書かずにごろごろして過ごしてしまうと、
罪悪感というか欲求不満のようなものを感じてしまう。
それでも、こんなに長い間何も書かずにいられるのは、
前に比べて仕事の内容でそれなりに飢えを満たしているからか、
彼女と一緒に過ごしているからか。
最近は、自分の中で小説を書くエネルギーが枯渇していることに少し悩んでいるのだけど、
その理由が「満足しているから」というのは何とも皮肉な感じがしなくもないな。
「価値観の多様化」と「自己満足」。
考えるべきことは多いような気がするし、批判も多くあるのではないかと思う。
僕にはまだ、それが良いのか悪いのか、わからないけれど、
今の感覚を記録したくて、ここに書き置いておくことにした。
自己満足。大辞泉によれば、「自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること。」
大抵は、あまり良い意味には使われないかもしれない。
「他人のことを顧みずに、自分だけが満足すること」とか、
「誰の役にも立たず、自分しか満足させないもの」というニュアンスもある気がする。
けれど、「多様な価値観を認める社会」というものを考えるならば、きっと自己満足は重要なはずだ。
「他の人には分からないかもしれないけれど、本人にとっては大切な価値観を尊重しよう」というのは、
乱暴にいってしまえば、「一人一人の自己満足を大切にしよう」と置き換えることもできると思う。
また、最近よく耳にするようになった言葉に、「自己肯定感」という言葉もある。
これも要は「自己満足」を肯定的な響きがするように言い換えたものであるように思う。
「(他者から肯定されるのではなく)自分自身で自分を肯定してあげよう。」そんなイメージ。
僕自身のことをいえば、大学卒業までの僕は、
「他者から肯定されること」で自尊心を保ってきた。
特に勤勉だったわけでもないけれど、おそらくはとても運の良いことに、
僕の興味と、世間で評価される「勉強」とがそれほど離れていなかったために、
相対的に学校の成績はよかった。
ほめられることが好きで、がっかりされることを極度に恐れていた僕は、
そのまま「真面目な」生き方を続け、それなりに優秀といわれるような大学を卒業した。
正直にいえば、その頃の僕の選択基準はほとんど、
「世間的に評価されるかどうか」だったように思う。
いや、もっとはっきりいうならば、僕はずっと、
「自分が優秀でいられるようなフィールド」だけを選んでいた。
憧れの集団の一番下の方でなんとかついていこうと必死で食らいつく、
なんていう経験は全くしなかった。
だからずっと、「君はすごいね、優秀だね」といわれながら生きていたのだと言える。
自分で、そういう場所を選んでいたのだから。
そうやって世間から肯定されている間は、自己満足のことは、あまり考えないで済んだ。
もちろん、プライベートや部活動などで、「自己満足」の要求を満たしていたのだけど、
それらはあくまでも脇役で済んでいたのだと思う。
いや、そういったところでさえ、
「自分が優秀でいられなくなるような」ことを選ばなかったからかもしれない。
今、僕は、「世間的にはそれほど評価されない」人生を送っていると思う。
前の会社を辞めて、今の職場で働き始めてからは特にだ。
実際にそうであるかはともかく、そういう自覚があるのだということだけど。
だからこそ、僕はここにきて「自己満足したい!」
という思いが一気に強くなったように感じている。
「誰からも評価されなくていい。自分が幸せだと思える日々を送りたい!」
そういう考え方が自分にとって良いのか、よく分からないけれど、
その気持ちはとても心地よくて、
事実、「僕は、他の多くの人より幸せな人生を送っていると
自分で思っている」という自負もある。
だけど、たまにその「自己満足欲求」に押しつぶされそうになることもある。
自分自身が「自己満足の審査員」であるわけだけど、
それが時々、「まだまだ満足していないぞー」と注文をつけてくるのだ。
前の会社にいたときは、仕事の内容に自己満足できなかったから、
家ではひたすらに小説を書いた。
仕事が忙しかったりして書けないと、
満たせていない自己満足欲求がたまりにたまって、不満で仕方なかった。
今もその名残があって、休日に何も書かずにごろごろして過ごしてしまうと、
罪悪感というか欲求不満のようなものを感じてしまう。
それでも、こんなに長い間何も書かずにいられるのは、
前に比べて仕事の内容でそれなりに飢えを満たしているからか、
彼女と一緒に過ごしているからか。
最近は、自分の中で小説を書くエネルギーが枯渇していることに少し悩んでいるのだけど、
その理由が「満足しているから」というのは何とも皮肉な感じがしなくもないな。
「価値観の多様化」と「自己満足」。
考えるべきことは多いような気がするし、批判も多くあるのではないかと思う。
僕にはまだ、それが良いのか悪いのか、わからないけれど、
今の感覚を記録したくて、ここに書き置いておくことにした。