『白い幻想』
日付が変わる頃には雪になるでしょう、なんて、そういえば昨夜のテレビニュースで聞いたような気がするけど、聞きなれないその言葉は僕の頭を素通りしていって、気にも留めていなかった。
目が覚めてカーテンを開けると、雪が降っていた。
「目が覚めたら一面の銀世界だった」なんて大層なものじゃない。交通量の多い都会のアスファルトに、そう簡単に雪は降り積もらない。それでも、灰色の街に舞う無数の白の欠片は、見慣れた景色を一変させるのに充分だった。
雪は現実感(リアリティ)がないから嫌い、と彼女が言っていたのを、ふと思い出す。
「雪はずるい、」
マンションの三階にある僕の部屋の窓から、白い景色を睨みつけて彼女は言った。
「変わらない日常を、積み上げてきた世界を、あっという間に、いともたやすく塗り替えてしまうんだ。そのくせ、次の日にはもう、跡形もなく消え去ってしまうんだよ」
そう言った彼女の表情は、むしろ、羨んでいるように見えた。
「――跡形もなく消えてしまうなら、はじめから変えられるなんて思わせたりしないでよ」
「跡形もなく?」
「うん、跡形もなく」
そうでもないよ、と今の僕なら彼女に言うだろう。
たくさんたくさん降り積もった雪は、次の日になっても跡形もなく消え去ったりはしない。それは、ふとしたところに、たとえば道の端の植え込みに、向かいの家の屋根に、電信柱の陰に、白く透き通るその姿を潜ませて僕らにあの白い光景を思い出させる。灰色の世界を白く塗り潰すことができると、錯覚させる。
「現実(リアル)を現実(リアル)と思い込むことで、あたしたちはどうにか生きているんだ。それなのに、現実(リアル)の灰色を、幻想(ファンタジー)の白の下に、いとも簡単に隠してしまえることを知ってしまったら、現実(リアル)を信じ込むことの虚しさに、気づいてしまうじゃないか。気づいたところで、どうにもならないのに。
だから、雪は嫌いなんだ」
わかるようなわからないようなそんなことを言って、その実、ただ寒いのが苦手なだけの彼女に苦笑しながら、僕らは長い一日を暖かい部屋の中で過ごしたものだった。それこそがそう、幻想(ファンタジー)だった。
彼女が「跡形もなく」消え去って、僕は今、同じ暖かい部屋の中でひとり、窓の外を眺めている。僕の中には白い幻想が、まだ溶け残っている。
雪よ、どうか積もったりするな。
塗りつぶした白の中の幻想(ファンタジー)を、信じてしまいそうになるから。
目が覚めてカーテンを開けると、雪が降っていた。
「目が覚めたら一面の銀世界だった」なんて大層なものじゃない。交通量の多い都会のアスファルトに、そう簡単に雪は降り積もらない。それでも、灰色の街に舞う無数の白の欠片は、見慣れた景色を一変させるのに充分だった。
雪は現実感(リアリティ)がないから嫌い、と彼女が言っていたのを、ふと思い出す。
「雪はずるい、」
マンションの三階にある僕の部屋の窓から、白い景色を睨みつけて彼女は言った。
「変わらない日常を、積み上げてきた世界を、あっという間に、いともたやすく塗り替えてしまうんだ。そのくせ、次の日にはもう、跡形もなく消え去ってしまうんだよ」
そう言った彼女の表情は、むしろ、羨んでいるように見えた。
「――跡形もなく消えてしまうなら、はじめから変えられるなんて思わせたりしないでよ」
「跡形もなく?」
「うん、跡形もなく」
そうでもないよ、と今の僕なら彼女に言うだろう。
たくさんたくさん降り積もった雪は、次の日になっても跡形もなく消え去ったりはしない。それは、ふとしたところに、たとえば道の端の植え込みに、向かいの家の屋根に、電信柱の陰に、白く透き通るその姿を潜ませて僕らにあの白い光景を思い出させる。灰色の世界を白く塗り潰すことができると、錯覚させる。
「現実(リアル)を現実(リアル)と思い込むことで、あたしたちはどうにか生きているんだ。それなのに、現実(リアル)の灰色を、幻想(ファンタジー)の白の下に、いとも簡単に隠してしまえることを知ってしまったら、現実(リアル)を信じ込むことの虚しさに、気づいてしまうじゃないか。気づいたところで、どうにもならないのに。
だから、雪は嫌いなんだ」
わかるようなわからないようなそんなことを言って、その実、ただ寒いのが苦手なだけの彼女に苦笑しながら、僕らは長い一日を暖かい部屋の中で過ごしたものだった。それこそがそう、幻想(ファンタジー)だった。
彼女が「跡形もなく」消え去って、僕は今、同じ暖かい部屋の中でひとり、窓の外を眺めている。僕の中には白い幻想が、まだ溶け残っている。
雪よ、どうか積もったりするな。
塗りつぶした白の中の幻想(ファンタジー)を、信じてしまいそうになるから。