しあわせの感触
お題小説 おっぱい、望郷、薔薇、追憶
「宇宙旅行であなたの灰色の人生を薔薇色に!」とか言いながら、宇宙飛行士の制服に身を包んだ男がブロンドで巨乳の美女の肩を抱いてにやけている、なんていう広告を見かけたとき、そりゃあ俺だって、うさんくさいな、と思ったよ。しかもよくよく見たら、行き先は火星だぜ? 学のない俺には宇宙のことなんてさっぱりだが、火星ってやつが誰も行ったことない星で、行くのにめちゃくちゃ時間がかかる、ってことくらいは知ってる。そんなとこに行って、無事に戻ってくる保証なんて、あるわけもない。要は、体のよい人体実験ってことだ。報酬は確かに良さそうだったが(もし帰ってこられたら、余生は遊んで暮らせるほど)、だからと言ってこの企画に乗るってことは、自分の人生を売っ払うことに等しい。
「ふん、売るのを惜しむほどの人生かよ」
俺は誰もいない深夜の公園のベンチで寒さに震えながら吐き捨てた。手にはくしゃくしゃになったあのポスター。なんだか妙に気になって、電柱に貼られていたやつをこっそりはがして持ってきたのだった。「あなたの灰色の人生を」だなんて、腹の立つことこの上ないコピーだが、残念ながら俺にゃあ反論するすべがない。ああ、確かに俺の人生灰色だよ。
高校を出るまで、俺の人生は至って普通だった。勉強もスポーツも、それから見た目も、まぁ、ぱっとしないやつではあったが、逆に言えば目立つほど悪くもなく、誰の話題にもならない、可もなく不可もない存在、それが俺だった。高校を卒業するときに、学校に言われるままに地元の、自動車部品の工場に就職して、特に何も考えることなく働き続けて5年……ある日いきなり、会社がつぶれた。取引先であり親会社でもある国際的な自動車会社が、安全規制テストの結果をちょろまかしたとかなんとかで、一時期テレビや新聞をにぎわしたらしい。テレビも見ない、新聞も取ってない俺には、さっぱりわからないことだったが。俺だけじゃない、会社の誰一人として状況なんてわかってなかっただろう。そんな雲の上の出来事のあおりをくらって、地上にはいつくばってた俺たちは、あっさりと倒れた。
会社の寮で生活してた俺は、働く場所どころか住む場所さえ失って途方に暮れた。もともと折り合いの悪かった両親とは、寮に入ったのをいいことに就職以来一度も連絡を取ってなかったし、今更戻って邪魔者扱いされながら生きるのは、耐えられなかった。そのとき多少貯金もあって、気が大きくなっていた俺は、勢いで上京して一人暮らしをはじめた。
そのあとはまぁ、よくある話。夢も大義もなく上京したはいいが、このご時世で要領も悪くこれといって取り柄のない俺が、わりのいい仕事を見つけられるわけもなく、すがりつく思いで入った会社はみんなブラック企業で、仕事を変えるたびに給料は減り、体を壊しては貯金を減らし、行き着くところはホームレス。こんな状況じゃ、ますます故郷にも帰れず、途方に暮れる毎日。もうすぐ三十だが、恋人はもちろん友人さえもおらず、誰も俺を顧みるやつなんていない。
俺はこのまま、女性の肌に触れることもなく死んでいくのか……いちどでいいから、やわらかいおっぱい、さわってみたかった……
そこで俺は、あまりに生産性のない追憶を打ち切った。過去を悔やんでも意味がない。冷酷な現在だけが、目の前にある。
ならば、やるしかない。宇宙船に乗って地上を飛び出せば、もしかしたら、地上では味わえないようなしあわせが待っているかもしれないのだから。
「人体実験だろうが、人身売買だろうが、なんだっていい、乗ってやろうじゃねぇか!」
俺はそう叫んで立ち上がった。人生を変えるための、一大決心だった。決して、ポスターのおっぱい……もとい、巨乳美女に誘惑されたからではない。深夜の静かな公園に、俺の場違いな大声がこだまする。
「うるせぇ、しずかにしやがれ!」
どこからか怒鳴り声が聞こえ、俺は首をすくめた。
こうして、火星に向けた有人探査船、「アーレス1号」は俺を乗せて飛び立った。
そして探査船の中にはもう一人。
「ハロー、カズ? 調子はどう?」
点検作業を終えた相棒(バディ)が、こちらに戻ってくる。分厚いガラスのヘルメットをはずすと、長いブロンドの髪がこぼれでた。彼女はアーレス1号のもう一人の乗組員にして、俺の相棒のベティ。……彼女はなんと、あのポスターに載っていた巨乳美女だった。ポスターをつくる段階で予算が底をついて、仕方なく彼女が被写体をつとめたらしい。彼女がどんな気持ちで、この宇宙探査を引き受けたのかは、知る由もない。だが、自暴自棄だった俺にとって、このたびが彼女とふたりきりのものだと言うことは、望外の幸せだった。
探査船の中は当然、無重力状態だ。(実際には重力がなくなるからではなくて、地球から飛び出そうとする遠心力が働くからだとかなんだとか説明されたが、難しいことはよくわからない)俺もベティも、狭い宇宙船の中をふわふわと浮いている。俺はてっきり、宇宙船の中でも呼吸はできなくて、ずっと宇宙服を着て生活するものかと思っていたが、そんなことはないらしい。出発のときには、万が一に備えて宇宙服を着るが、それがすぎれば後は普段着でいいとのこと。船の中は快適な温度に保たれているからむしろ、Tシャツ一枚といったラフな格好が当たり前だ。
「ふう、宇宙服は暑苦しいわね」
そう言ってベティは、重い服を脱ぎ捨てはじめる。無重力の中で服を脱ぐのはいささか難しい。俺が目の前にいても恥じらう様子さえ見せないのは、彼女がアメリカ人だからか、それとも俺が視界に映っていないのか。
「きゃっ」
ベティが、小さく悲鳴を上げた。無重力下で服を着替えようとしてバランスを崩したのだ。重力がないと、いったん崩した体勢を立て直すのは難しい、彼女の体は、宇宙船の天井にぶつかって跳ね返り、そのままこちらに向かってきた。
「わわっ」
俺は情けない声を上げる。無重力に慣れず、体を宇宙船の床から伸びるロープに接続してなるべく動かずにいた俺が、華麗によけられるはずもなく。
ぷにっ。
俺の顔に、知らない感触。直後に、それが何であるかを知って俺の心臓は飛び上がった。
「カズ、大丈夫? どこか悪いところでも打ったの?」
薄れゆく意識の中で、ベティの声がかすかに聞こえる。視界が暗転していきながら、俺は、これまでに感じたことのない満足感を覚えていた。
諸君、君たちは知らないであろう。
無重力下での、おっぱいの感触というものを。それはまさしく、地上では味わえぬ、天上の感触とも言うべきもので……。
「なるほどこれが……しあわせ……か……」
「宇宙旅行であなたの灰色の人生を薔薇色に!」とか言いながら、宇宙飛行士の制服に身を包んだ男がブロンドで巨乳の美女の肩を抱いてにやけている、なんていう広告を見かけたとき、そりゃあ俺だって、うさんくさいな、と思ったよ。しかもよくよく見たら、行き先は火星だぜ? 学のない俺には宇宙のことなんてさっぱりだが、火星ってやつが誰も行ったことない星で、行くのにめちゃくちゃ時間がかかる、ってことくらいは知ってる。そんなとこに行って、無事に戻ってくる保証なんて、あるわけもない。要は、体のよい人体実験ってことだ。報酬は確かに良さそうだったが(もし帰ってこられたら、余生は遊んで暮らせるほど)、だからと言ってこの企画に乗るってことは、自分の人生を売っ払うことに等しい。
「ふん、売るのを惜しむほどの人生かよ」
俺は誰もいない深夜の公園のベンチで寒さに震えながら吐き捨てた。手にはくしゃくしゃになったあのポスター。なんだか妙に気になって、電柱に貼られていたやつをこっそりはがして持ってきたのだった。「あなたの灰色の人生を」だなんて、腹の立つことこの上ないコピーだが、残念ながら俺にゃあ反論するすべがない。ああ、確かに俺の人生灰色だよ。
高校を出るまで、俺の人生は至って普通だった。勉強もスポーツも、それから見た目も、まぁ、ぱっとしないやつではあったが、逆に言えば目立つほど悪くもなく、誰の話題にもならない、可もなく不可もない存在、それが俺だった。高校を卒業するときに、学校に言われるままに地元の、自動車部品の工場に就職して、特に何も考えることなく働き続けて5年……ある日いきなり、会社がつぶれた。取引先であり親会社でもある国際的な自動車会社が、安全規制テストの結果をちょろまかしたとかなんとかで、一時期テレビや新聞をにぎわしたらしい。テレビも見ない、新聞も取ってない俺には、さっぱりわからないことだったが。俺だけじゃない、会社の誰一人として状況なんてわかってなかっただろう。そんな雲の上の出来事のあおりをくらって、地上にはいつくばってた俺たちは、あっさりと倒れた。
会社の寮で生活してた俺は、働く場所どころか住む場所さえ失って途方に暮れた。もともと折り合いの悪かった両親とは、寮に入ったのをいいことに就職以来一度も連絡を取ってなかったし、今更戻って邪魔者扱いされながら生きるのは、耐えられなかった。そのとき多少貯金もあって、気が大きくなっていた俺は、勢いで上京して一人暮らしをはじめた。
そのあとはまぁ、よくある話。夢も大義もなく上京したはいいが、このご時世で要領も悪くこれといって取り柄のない俺が、わりのいい仕事を見つけられるわけもなく、すがりつく思いで入った会社はみんなブラック企業で、仕事を変えるたびに給料は減り、体を壊しては貯金を減らし、行き着くところはホームレス。こんな状況じゃ、ますます故郷にも帰れず、途方に暮れる毎日。もうすぐ三十だが、恋人はもちろん友人さえもおらず、誰も俺を顧みるやつなんていない。
俺はこのまま、女性の肌に触れることもなく死んでいくのか……いちどでいいから、やわらかいおっぱい、さわってみたかった……
そこで俺は、あまりに生産性のない追憶を打ち切った。過去を悔やんでも意味がない。冷酷な現在だけが、目の前にある。
ならば、やるしかない。宇宙船に乗って地上を飛び出せば、もしかしたら、地上では味わえないようなしあわせが待っているかもしれないのだから。
「人体実験だろうが、人身売買だろうが、なんだっていい、乗ってやろうじゃねぇか!」
俺はそう叫んで立ち上がった。人生を変えるための、一大決心だった。決して、ポスターのおっぱい……もとい、巨乳美女に誘惑されたからではない。深夜の静かな公園に、俺の場違いな大声がこだまする。
「うるせぇ、しずかにしやがれ!」
どこからか怒鳴り声が聞こえ、俺は首をすくめた。
こうして、火星に向けた有人探査船、「アーレス1号」は俺を乗せて飛び立った。
そして探査船の中にはもう一人。
「ハロー、カズ? 調子はどう?」
点検作業を終えた相棒(バディ)が、こちらに戻ってくる。分厚いガラスのヘルメットをはずすと、長いブロンドの髪がこぼれでた。彼女はアーレス1号のもう一人の乗組員にして、俺の相棒のベティ。……彼女はなんと、あのポスターに載っていた巨乳美女だった。ポスターをつくる段階で予算が底をついて、仕方なく彼女が被写体をつとめたらしい。彼女がどんな気持ちで、この宇宙探査を引き受けたのかは、知る由もない。だが、自暴自棄だった俺にとって、このたびが彼女とふたりきりのものだと言うことは、望外の幸せだった。
探査船の中は当然、無重力状態だ。(実際には重力がなくなるからではなくて、地球から飛び出そうとする遠心力が働くからだとかなんだとか説明されたが、難しいことはよくわからない)俺もベティも、狭い宇宙船の中をふわふわと浮いている。俺はてっきり、宇宙船の中でも呼吸はできなくて、ずっと宇宙服を着て生活するものかと思っていたが、そんなことはないらしい。出発のときには、万が一に備えて宇宙服を着るが、それがすぎれば後は普段着でいいとのこと。船の中は快適な温度に保たれているからむしろ、Tシャツ一枚といったラフな格好が当たり前だ。
「ふう、宇宙服は暑苦しいわね」
そう言ってベティは、重い服を脱ぎ捨てはじめる。無重力の中で服を脱ぐのはいささか難しい。俺が目の前にいても恥じらう様子さえ見せないのは、彼女がアメリカ人だからか、それとも俺が視界に映っていないのか。
「きゃっ」
ベティが、小さく悲鳴を上げた。無重力下で服を着替えようとしてバランスを崩したのだ。重力がないと、いったん崩した体勢を立て直すのは難しい、彼女の体は、宇宙船の天井にぶつかって跳ね返り、そのままこちらに向かってきた。
「わわっ」
俺は情けない声を上げる。無重力に慣れず、体を宇宙船の床から伸びるロープに接続してなるべく動かずにいた俺が、華麗によけられるはずもなく。
ぷにっ。
俺の顔に、知らない感触。直後に、それが何であるかを知って俺の心臓は飛び上がった。
「カズ、大丈夫? どこか悪いところでも打ったの?」
薄れゆく意識の中で、ベティの声がかすかに聞こえる。視界が暗転していきながら、俺は、これまでに感じたことのない満足感を覚えていた。
諸君、君たちは知らないであろう。
無重力下での、おっぱいの感触というものを。それはまさしく、地上では味わえぬ、天上の感触とも言うべきもので……。
「なるほどこれが……しあわせ……か……」