お題小説『魔王のすむ森』
お題:茶 雪 雷 魔王 珈琲 仮面
制限時間:1時間(30分ほどオーバー)
「この森には、魔王がすんでいるんだぜ」
テレジアがフランツという少年からそんな話を聞いたのは、その日の昼下がりのことだった。
「魔王はいつも仮面をしていて、素顔はだれも見たことがない。仮面を取った素顔はそれはそれは恐ろしくて、見た者は気を失っちまうって話だ」
誰も素顔を見たことがないのに、どうして素顔が恐ろしいってわかるのよ。ばっかじゃないの。
テレジアは喉まで出かけた悪態を飲み込んで、平然な顔でフランツの言葉を聞き流したのだった。
フランツは、この集落にすむ浅黒い肌の少年で、テレジアより二つ年上だ。昨日の夕方、テレジアが両親に連れられてこの集落にやってきて以来、フランツは何かとテレジアにくっついてきていた。本人は、集落に来た新入りで年下のテレジアを気づかって、いろいろと世話を焼いてやろうという親切心からなのだろうが、テレジアは正直言ってこの少年のことがあまり好きではなかった。年上であることをいいことに、やたらと先輩風を吹かそうとすることに反発する気持ちもあったし、なにより、少しの間話しただけでも、フランツがそれまで見てきた世界がいかに狭く、色あせたものであるかがはっきりとわかり、うんざりしてしまったからだ。端的に言って、テレジアにとってフランツは、うだつのあがらない田舎者そのものだった。
テレジアは、都市の生まれだ。テレジアの生まれ育った街は都と呼べるほどに大きく、賑わっていた。そびえるような集合住宅が立ち並び、華やかな看板を掲げた店がいくつも並んでいた。夜になれば街の大通りに並ぶ街灯に火が灯され、良い香りのお茶を出すカフェで、きらびやかな紳士淑女が語らう。そんなところだった。
ところがこの集落はといえば、まったくの田舎、テレジアからしてみれば、まるで未開の地だった。見渡す限り、あるものといえば鬱蒼と茂る暗くて不吉な森と、肥料の臭いが鼻につく、いちめんの小麦畑、それに、薄汚れた布を身にまとった田舎者ばかり。きらびやかな建物も、きらめく街灯も、着飾った男女も、ここにはなかった。
聖職者である父が、集落にひとつだけある教会に赴任すると決まったとき、テレジアはまさか、自分がそこに行く事になるとは思ってもいなかった。だって、テレジアは次の春からは「学校」に行く事が決まっていたのだから。
テレジアを執務室に呼び出した父は、正式な僧衣に身を包み、テレジアが一度も見たことがないような真面目な顔をしてこう言った。
「愛するテレジア。わたしとともに、わたしの生まれ育った村で暮らしてみるというのはどうだろう。この町で生まれた君が見たこともない、自然に囲まれた暮らしは、きっと素晴らしい体験を君にもたらしてくれるだろう。そう思わないか?」
父の言葉は、とても十二歳の我が娘にかけるようなものではなかった。けれど父はいつもそうなのだ。まるで一人前のレディに接するように、テレジアに接する。日頃たくさんの子供に接しているというのに、自分の娘に対する距離だけは、いつも測りかねているような父だった。
けれどテレジアは、そんな父を愛していた。だから、父からそんなふうに言われて、首を横に振ることは、テレジアにはできなかったのだ。
太陽が西の空にかたむき、みるみる暗くなりはじめた森の中で、テレジアはうるさいほどに鳴る心臓をなだめようと必死になっていた。振り返ってみても、つい先程から降りはじめた雪のせいで、もと来た道がわからない。
迷ったんだ。わたし、森の中で迷子になったんだ。心の中で呟いてしまうと、心臓はさらに倍の速さで早鐘を打った。
「フランツ……」
不安にかられて呟いてみても、返事はない。一緒に森に入ったフランツとは、しばらく前にはぐれてしまっていた。
フランツの誘いで散歩に出たはいいものの、おせっかいな彼を煩わしく感じたテレジアが、用を足すのでついてくるなと言い置いて、森の中に隠れたのだ。
はじめは、冗談のつもりだった。しばらく茂みの中で隠れて、フランツに気をもませてから、何気ない振りで出ていこうと思っていたのだ。ところが、丁度良い隠れ場所を探して森に入っていくうちに、図らずも森の奥に入り込み、フランツのいるところへの戻り方が、わからなくなってしまったのだ。
雪は、ますます強く降り、テレジアの華奢な体を凍えさせる。遠くで不吉な雷の音がテレジアの心を追い詰める。不安と絶望の中、昼下がりのフランツの話を思い出してしまっていた。
「この森には、仮面をつけた魔王がすんでいる」
きっとわたしは、その魔王にさらわれてしまうんだ。
観念して、テレジアは目を閉じた。
その瞬間、目蓋の裏が白く染まる。一瞬の後、耳をつんざく雷の音。
歯を食いしばりながら、テレジアは目をふさぎつづけた。
「もう大丈夫だよ」
耳元で囁く声が聞こえ、テレジアはびっくりして目を開いてしまう。ぼやけた視界の中に見えたのは――仮面だった。
葉っぱをくりぬいてつくった、粗末な仮面。大きな葉っぱは顔のほとんどを覆い隠し、目の部分にだけ小さく穴が開けられている。そして仮面の下からのぞくのは――浅黒い肌の、口元。
「ま、魔王……」
かすれる声でそう呟いたテレジアの唇に、魔王の人差し指が当てられる。
「しーっ、その名前は、ここでは口に出さない方がいいよ」
仮面の下の口が、ニヤリ、といたずらっぽく笑う。形の良い唇から、白い歯がちらりとのぞく。
「で、でもっ……」
「大丈夫、取って食ったりしないよ。身体が、冷えただろう? ほら、これを飲んで」
差し出されたカップを、テレジアは思わず受け取った。盛大に湯気を上げるそれは、冷えきったテレジアには抗えない魅力を放っていた。カップに口をつけると、暖かな苦味と甘みが、冷えきった身体の中に染みこんでいった。はじめての味。
「珈琲というんだ。薬にもなる。それをゆっくり飲んで、眠くなったら寝てしまえばいい。大丈夫。もう大丈夫だから」
耳元で囁く魔王の言葉が、遠ざかっていく。遠のく意識の向こうで、身体が、暖かな温もりに包まれたのを感じた。魔王に、抱えられたのだ。
さらわれてしまうのかしら。
不思議と、恐怖はなかった。体の芯の方に染み込んだ珈琲の苦味が、自分の中にある命を感じさせていた。
「……まおう。ありがと」
朦朧とする意識の中でテレジアは、自分を包み込む魔王の腕に、しがみついた。
その日以来、テレジアは毎日森に行くようになった。もちろん、森の中で一人になるなんてもうまっぴらだったから、フランツを誘ってだ。
「ちょっとフランツ、なにグズグズしてるの? ちゃんと探さないと、魔王に会えないじゃない」
「どうして急に、魔王に会いたくなったのさ?」
「それは……あなたには関係ないわよ!」
テレジアはそう言ってぷいっとフランツに背を向けて、そのまま森の奥に歩き出してしまう。
「おいちょっと、また迷子になるぞ!」
あわててフランツは、ところどころに溶け残った泥まみれの雪をよけながら、テレジアの背中を追いかける。ふと空を見あげれば、雲行きが怪しくなってきた。どうやら今日も雪になりそうだ。
そろそろテレジアを説得して、森からでなくっちゃ。かなり寒くて、身体が冷え切っているから、フランツの部屋に招待してお茶にしようか。とっておきの珈琲を出してあげたら、テレジアは、「魔王」の正体に気がつくだろうか。
でもそれは、もっと後でもいいかもしれないな。
そんなことを思いながら、フランツはニヤリと笑った。
唇からは、白い歯がのぞいていた。
制限時間:1時間(30分ほどオーバー)
「この森には、魔王がすんでいるんだぜ」
テレジアがフランツという少年からそんな話を聞いたのは、その日の昼下がりのことだった。
「魔王はいつも仮面をしていて、素顔はだれも見たことがない。仮面を取った素顔はそれはそれは恐ろしくて、見た者は気を失っちまうって話だ」
誰も素顔を見たことがないのに、どうして素顔が恐ろしいってわかるのよ。ばっかじゃないの。
テレジアは喉まで出かけた悪態を飲み込んで、平然な顔でフランツの言葉を聞き流したのだった。
フランツは、この集落にすむ浅黒い肌の少年で、テレジアより二つ年上だ。昨日の夕方、テレジアが両親に連れられてこの集落にやってきて以来、フランツは何かとテレジアにくっついてきていた。本人は、集落に来た新入りで年下のテレジアを気づかって、いろいろと世話を焼いてやろうという親切心からなのだろうが、テレジアは正直言ってこの少年のことがあまり好きではなかった。年上であることをいいことに、やたらと先輩風を吹かそうとすることに反発する気持ちもあったし、なにより、少しの間話しただけでも、フランツがそれまで見てきた世界がいかに狭く、色あせたものであるかがはっきりとわかり、うんざりしてしまったからだ。端的に言って、テレジアにとってフランツは、うだつのあがらない田舎者そのものだった。
テレジアは、都市の生まれだ。テレジアの生まれ育った街は都と呼べるほどに大きく、賑わっていた。そびえるような集合住宅が立ち並び、華やかな看板を掲げた店がいくつも並んでいた。夜になれば街の大通りに並ぶ街灯に火が灯され、良い香りのお茶を出すカフェで、きらびやかな紳士淑女が語らう。そんなところだった。
ところがこの集落はといえば、まったくの田舎、テレジアからしてみれば、まるで未開の地だった。見渡す限り、あるものといえば鬱蒼と茂る暗くて不吉な森と、肥料の臭いが鼻につく、いちめんの小麦畑、それに、薄汚れた布を身にまとった田舎者ばかり。きらびやかな建物も、きらめく街灯も、着飾った男女も、ここにはなかった。
聖職者である父が、集落にひとつだけある教会に赴任すると決まったとき、テレジアはまさか、自分がそこに行く事になるとは思ってもいなかった。だって、テレジアは次の春からは「学校」に行く事が決まっていたのだから。
テレジアを執務室に呼び出した父は、正式な僧衣に身を包み、テレジアが一度も見たことがないような真面目な顔をしてこう言った。
「愛するテレジア。わたしとともに、わたしの生まれ育った村で暮らしてみるというのはどうだろう。この町で生まれた君が見たこともない、自然に囲まれた暮らしは、きっと素晴らしい体験を君にもたらしてくれるだろう。そう思わないか?」
父の言葉は、とても十二歳の我が娘にかけるようなものではなかった。けれど父はいつもそうなのだ。まるで一人前のレディに接するように、テレジアに接する。日頃たくさんの子供に接しているというのに、自分の娘に対する距離だけは、いつも測りかねているような父だった。
けれどテレジアは、そんな父を愛していた。だから、父からそんなふうに言われて、首を横に振ることは、テレジアにはできなかったのだ。
太陽が西の空にかたむき、みるみる暗くなりはじめた森の中で、テレジアはうるさいほどに鳴る心臓をなだめようと必死になっていた。振り返ってみても、つい先程から降りはじめた雪のせいで、もと来た道がわからない。
迷ったんだ。わたし、森の中で迷子になったんだ。心の中で呟いてしまうと、心臓はさらに倍の速さで早鐘を打った。
「フランツ……」
不安にかられて呟いてみても、返事はない。一緒に森に入ったフランツとは、しばらく前にはぐれてしまっていた。
フランツの誘いで散歩に出たはいいものの、おせっかいな彼を煩わしく感じたテレジアが、用を足すのでついてくるなと言い置いて、森の中に隠れたのだ。
はじめは、冗談のつもりだった。しばらく茂みの中で隠れて、フランツに気をもませてから、何気ない振りで出ていこうと思っていたのだ。ところが、丁度良い隠れ場所を探して森に入っていくうちに、図らずも森の奥に入り込み、フランツのいるところへの戻り方が、わからなくなってしまったのだ。
雪は、ますます強く降り、テレジアの華奢な体を凍えさせる。遠くで不吉な雷の音がテレジアの心を追い詰める。不安と絶望の中、昼下がりのフランツの話を思い出してしまっていた。
「この森には、仮面をつけた魔王がすんでいる」
きっとわたしは、その魔王にさらわれてしまうんだ。
観念して、テレジアは目を閉じた。
その瞬間、目蓋の裏が白く染まる。一瞬の後、耳をつんざく雷の音。
歯を食いしばりながら、テレジアは目をふさぎつづけた。
「もう大丈夫だよ」
耳元で囁く声が聞こえ、テレジアはびっくりして目を開いてしまう。ぼやけた視界の中に見えたのは――仮面だった。
葉っぱをくりぬいてつくった、粗末な仮面。大きな葉っぱは顔のほとんどを覆い隠し、目の部分にだけ小さく穴が開けられている。そして仮面の下からのぞくのは――浅黒い肌の、口元。
「ま、魔王……」
かすれる声でそう呟いたテレジアの唇に、魔王の人差し指が当てられる。
「しーっ、その名前は、ここでは口に出さない方がいいよ」
仮面の下の口が、ニヤリ、といたずらっぽく笑う。形の良い唇から、白い歯がちらりとのぞく。
「で、でもっ……」
「大丈夫、取って食ったりしないよ。身体が、冷えただろう? ほら、これを飲んで」
差し出されたカップを、テレジアは思わず受け取った。盛大に湯気を上げるそれは、冷えきったテレジアには抗えない魅力を放っていた。カップに口をつけると、暖かな苦味と甘みが、冷えきった身体の中に染みこんでいった。はじめての味。
「珈琲というんだ。薬にもなる。それをゆっくり飲んで、眠くなったら寝てしまえばいい。大丈夫。もう大丈夫だから」
耳元で囁く魔王の言葉が、遠ざかっていく。遠のく意識の向こうで、身体が、暖かな温もりに包まれたのを感じた。魔王に、抱えられたのだ。
さらわれてしまうのかしら。
不思議と、恐怖はなかった。体の芯の方に染み込んだ珈琲の苦味が、自分の中にある命を感じさせていた。
「……まおう。ありがと」
朦朧とする意識の中でテレジアは、自分を包み込む魔王の腕に、しがみついた。
その日以来、テレジアは毎日森に行くようになった。もちろん、森の中で一人になるなんてもうまっぴらだったから、フランツを誘ってだ。
「ちょっとフランツ、なにグズグズしてるの? ちゃんと探さないと、魔王に会えないじゃない」
「どうして急に、魔王に会いたくなったのさ?」
「それは……あなたには関係ないわよ!」
テレジアはそう言ってぷいっとフランツに背を向けて、そのまま森の奥に歩き出してしまう。
「おいちょっと、また迷子になるぞ!」
あわててフランツは、ところどころに溶け残った泥まみれの雪をよけながら、テレジアの背中を追いかける。ふと空を見あげれば、雲行きが怪しくなってきた。どうやら今日も雪になりそうだ。
そろそろテレジアを説得して、森からでなくっちゃ。かなり寒くて、身体が冷え切っているから、フランツの部屋に招待してお茶にしようか。とっておきの珈琲を出してあげたら、テレジアは、「魔王」の正体に気がつくだろうか。
でもそれは、もっと後でもいいかもしれないな。
そんなことを思いながら、フランツはニヤリと笑った。
唇からは、白い歯がのぞいていた。