音楽小説『メーデー』
BUMP OF CHICKEN『メーデー』より
夢の中であいつの泣き声を聞いた。
あいつが泣いたところなんて実際には一度も見たことないのに。
あいつはいつも笑ってる。どんなに悲しいことがあっても、さびしい時や苦しい時も、少しだけ首を傾げて、困ったような顔で笑う。
「お前ってさ、何でいつも笑ってるの?」
そう聞いたことがある。その時はただの好奇心だった。俺の胸の中に、あいつの困った笑顔が焼きつくよりも、もっと前。
「あたしの泣き顔ってすごい不細工だからさ。泣いてる自分のこと嫌いなんだもん」
そう言ってあいつは、困ったように笑った。俺も笑った。何にもおかしなことなんてなかったのに。
あいつが笑うと、俺はほっとした。ほんとはその裏に色々な物を隠してるって知ってたのに、知らないふりをした。あいつは笑ってるから大丈夫、って思いこもうとした。
昨日「また明日」って手を振った時も、あいつは笑ってた。
「よ、なんかあった?」
できるだけ軽い声が出るように努めて、俺は言った。
受話器の向こうで、僅かな間。時間にしたら一秒か二秒。でも俺にはそれが聞こえた。あいつの沈黙。
「風邪でも引いたか?」
沈黙を聞いているのが耐えられなくて、俺は声を出してしまった。あいつはきっと笑ってくれるはずだ、なんて思ってる。俺はずるい。
「そうなんだ。急に風邪ひいちゃって。馬鹿は風邪ひかないっていうのにねー」
受話器の向こうで、あいつは笑う。俺があいつに押しつけた役割を演じるように。
沈黙。
何を言えばいいのかわからなくて、俺は黙り込む。
本当は知っていた。あいつが時折、笑顔の裏で悲しそうな顔を見せるのを。あいつの心の中にあるものが、笑顔だけじゃないってことを。
なのに。
やっぱり、俺は言葉を継げずにいた。
俺は、怖かったんだ。あいつの心を覗くことが。
一度覗いてしまったらきっと戻れない。あいつが必死で隠している痛みを、ひとつ残らず知ってしまうだろう。それはあいつを余計に傷つけるんじゃないか?
いや違う。本当は俺はそんなことを心配してなんかいない。
ただ自分が、これ以上深くに踏み出すことを恐れているだけだ。
あいつの痛みを知ったら、あいつをこれ以上深く理解したら、俺だって隠していたものをさらけ出してしまうだろう。忘れようとしている自分の中のいろいろな物も、覗き込んでしまうだろう。
それが怖いだけだ。あいつのためなんかじゃなくて、自分のために、俺は怯えているんだ。
「……どうしたの? 電話してきたんだからさ、何か言ってよ」
受話器からあいつの笑う声。
「……うん」
俺は夢の中で聞いた、あいつの泣き声を思い出す。
「助けてよ」って、泣き声は言っていた。
それは、あいつが隠したあいつからの、|救難信号《メーデー》だった。
「……なんかあったか?」
俺はかすれた声で尋ねる。
「だから、ただの風邪だって言ってるじゃん。まったく、何心配してるのよー」
電話越しに聞こえるのは、あいつのはしゃいだ声だ。
なのに、俺には確かに聞こえた。「助けてよ」っていう、あいつの泣き声。
「今からそっちに行くよ」
一方的に言って、俺は電話を切った。立ち上がって、勢いよく部屋のドアを開く。
決めたんだ。どこまでも潜っていこう。あいつの心の底まで。あいつが沈めたあいつを、引き上げるんだ。
そして、俺が沈めた俺も。
深い深い水の底から、眩しい光の差すところまで。
再び呼吸をするときは、君と一緒に。
夢の中であいつの泣き声を聞いた。
あいつが泣いたところなんて実際には一度も見たことないのに。
あいつはいつも笑ってる。どんなに悲しいことがあっても、さびしい時や苦しい時も、少しだけ首を傾げて、困ったような顔で笑う。
「お前ってさ、何でいつも笑ってるの?」
そう聞いたことがある。その時はただの好奇心だった。俺の胸の中に、あいつの困った笑顔が焼きつくよりも、もっと前。
「あたしの泣き顔ってすごい不細工だからさ。泣いてる自分のこと嫌いなんだもん」
そう言ってあいつは、困ったように笑った。俺も笑った。何にもおかしなことなんてなかったのに。
あいつが笑うと、俺はほっとした。ほんとはその裏に色々な物を隠してるって知ってたのに、知らないふりをした。あいつは笑ってるから大丈夫、って思いこもうとした。
昨日「また明日」って手を振った時も、あいつは笑ってた。
「よ、なんかあった?」
できるだけ軽い声が出るように努めて、俺は言った。
受話器の向こうで、僅かな間。時間にしたら一秒か二秒。でも俺にはそれが聞こえた。あいつの沈黙。
「風邪でも引いたか?」
沈黙を聞いているのが耐えられなくて、俺は声を出してしまった。あいつはきっと笑ってくれるはずだ、なんて思ってる。俺はずるい。
「そうなんだ。急に風邪ひいちゃって。馬鹿は風邪ひかないっていうのにねー」
受話器の向こうで、あいつは笑う。俺があいつに押しつけた役割を演じるように。
沈黙。
何を言えばいいのかわからなくて、俺は黙り込む。
本当は知っていた。あいつが時折、笑顔の裏で悲しそうな顔を見せるのを。あいつの心の中にあるものが、笑顔だけじゃないってことを。
なのに。
やっぱり、俺は言葉を継げずにいた。
俺は、怖かったんだ。あいつの心を覗くことが。
一度覗いてしまったらきっと戻れない。あいつが必死で隠している痛みを、ひとつ残らず知ってしまうだろう。それはあいつを余計に傷つけるんじゃないか?
いや違う。本当は俺はそんなことを心配してなんかいない。
ただ自分が、これ以上深くに踏み出すことを恐れているだけだ。
あいつの痛みを知ったら、あいつをこれ以上深く理解したら、俺だって隠していたものをさらけ出してしまうだろう。忘れようとしている自分の中のいろいろな物も、覗き込んでしまうだろう。
それが怖いだけだ。あいつのためなんかじゃなくて、自分のために、俺は怯えているんだ。
「……どうしたの? 電話してきたんだからさ、何か言ってよ」
受話器からあいつの笑う声。
「……うん」
俺は夢の中で聞いた、あいつの泣き声を思い出す。
「助けてよ」って、泣き声は言っていた。
それは、あいつが隠したあいつからの、|救難信号《メーデー》だった。
「……なんかあったか?」
俺はかすれた声で尋ねる。
「だから、ただの風邪だって言ってるじゃん。まったく、何心配してるのよー」
電話越しに聞こえるのは、あいつのはしゃいだ声だ。
なのに、俺には確かに聞こえた。「助けてよ」っていう、あいつの泣き声。
「今からそっちに行くよ」
一方的に言って、俺は電話を切った。立ち上がって、勢いよく部屋のドアを開く。
決めたんだ。どこまでも潜っていこう。あいつの心の底まで。あいつが沈めたあいつを、引き上げるんだ。
そして、俺が沈めた俺も。
深い深い水の底から、眩しい光の差すところまで。
再び呼吸をするときは、君と一緒に。