レビュー nicco『委員長』(ミニアルバム)
nicco公式サイト
※試聴や動画も見られます。
niccoはずるい。
このCDを聴けば、たぶん誰もがそう思う。
「澄んだ」とか、「美しい」といった表現にはふさわしくない、かすれ気味なのに生き生きとした独特の声。
単純にきれいな声にはもち得ない吸引力を持った声だ。
突き放すような力強さでもなく、媚びたり甘えたりするのとも違う。
僕らと同じ高さの地面に立って、声を枯らして叫んでいるような等身大の声。
その声で主張されるとまるで親友の真剣な言葉に耳を傾けているようで、こっちも本気で返さなくちゃいけなくなるような。
表面的な薄っぺらい部分をあっさりと突き抜けて、裸で向き合うことを余儀なくされるような。
あいまいに逃げることを許してくれない、その声は、ずるい。
『ここまでおいで 素肌一枚脱がして 君の隠れた羽根を見せてあげる』(「ブルウ」より)
語られる言葉もずるい。
アーティスティックなシンガーにありがちな、難解なことばなんてまったくつかわない。
誰にでも伝わる、わかりやすいことばだからこそ、頭じゃなくて胸に届く。
niccoの歌の主人公、つまり彼女の分身たちはみんな、ずるいやつらばっかりだ。
「女子高生」という特権を利用して「先生、あたしのこと好きでしょ?」とニヤリと笑っちゃう「委員長」。
「何だか悪いことがしたいよ 二人のヒミツをつくろうよ」と誘惑する「ブルウ」。
「なんでもできる君のこと 僕はちょっと悔しいんだ」と告白する「おやすみベイビー」。
自分のエゴを隠さない、ずるいひとたち。
……そう、僕らと一緒だ。
だから、niccoはアイドルじゃない。
ずるかったりみにくかったり情けなかったりする自分を、さらけ出してしまうniccoは、
憧れの偶像(アイドル)にはなり得ない。
niccoは「ロックスター」でもない。
「おまえら、あたしについてこいよ!」と言い放つ傍若無人さをもつには、彼女は繊細すぎる。
niccoは僕らの前にいるんじゃない、となりにいるんだ。
だから僕らを導いてくれたり、包んでくれたりするわけじゃない。
そう、彼女は、僕たちの保護者じゃない。子どもたちをまもる、大人じゃない。
niccoはただ、「生きている」んだ。ただ必死に。僕らと同じように。僕らと一緒に。
彼女の歌に「答え」はない。「答え」なんて出ない。
だって、僕らの人生は、まだ途中なんだから。
というふうにレビューをまとめようと思ったけど、CDを聴いていたらもう少し書きたくなった。
確かに彼女は「ただ必死で生きているだけ」なんだけど、ただ勢いに任せているのとは違うなぁと思う。
驚いたのは、「未来少年」という曲。
よくある「ディストピアもの(便利だけど非人間的な理想郷をなげく)」とはちがう。
なんたって「未来少年」の主語は「僕たち」なんだから。
ここに出てくる未来世界は空想じゃなくって実感。だからこそ、そう簡単に「ディストピア」にしてたまるか。
シニカルに問題提起している場合じゃない。生きなくっちゃ。
この曲を聴くとわかる。
niccoは確かに等身大の自分の中で、魂を吐き出すように歌っているけれど、それだけじゃない。
同時に、自分を離れて冷静にそれを見つめて、他の人に届けるための目をもっている。
二つの自分と二つの視点。
そのおかげで彼女の曲は、「天才」にありがちなひとりよがりなものからは一線を画している。
なかなかしたたかな彼女の曲は「才能」を消費しながらつくっているんじゃないから、
つくればつくるほど枯れたりせずに、成長していく。
これからが楽しみだ。
※試聴や動画も見られます。
niccoはずるい。
このCDを聴けば、たぶん誰もがそう思う。
「澄んだ」とか、「美しい」といった表現にはふさわしくない、かすれ気味なのに生き生きとした独特の声。
単純にきれいな声にはもち得ない吸引力を持った声だ。
突き放すような力強さでもなく、媚びたり甘えたりするのとも違う。
僕らと同じ高さの地面に立って、声を枯らして叫んでいるような等身大の声。
その声で主張されるとまるで親友の真剣な言葉に耳を傾けているようで、こっちも本気で返さなくちゃいけなくなるような。
表面的な薄っぺらい部分をあっさりと突き抜けて、裸で向き合うことを余儀なくされるような。
あいまいに逃げることを許してくれない、その声は、ずるい。
『ここまでおいで 素肌一枚脱がして 君の隠れた羽根を見せてあげる』(「ブルウ」より)
語られる言葉もずるい。
アーティスティックなシンガーにありがちな、難解なことばなんてまったくつかわない。
誰にでも伝わる、わかりやすいことばだからこそ、頭じゃなくて胸に届く。
niccoの歌の主人公、つまり彼女の分身たちはみんな、ずるいやつらばっかりだ。
「女子高生」という特権を利用して「先生、あたしのこと好きでしょ?」とニヤリと笑っちゃう「委員長」。
「何だか悪いことがしたいよ 二人のヒミツをつくろうよ」と誘惑する「ブルウ」。
「なんでもできる君のこと 僕はちょっと悔しいんだ」と告白する「おやすみベイビー」。
自分のエゴを隠さない、ずるいひとたち。
……そう、僕らと一緒だ。
だから、niccoはアイドルじゃない。
ずるかったりみにくかったり情けなかったりする自分を、さらけ出してしまうniccoは、
憧れの偶像(アイドル)にはなり得ない。
niccoは「ロックスター」でもない。
「おまえら、あたしについてこいよ!」と言い放つ傍若無人さをもつには、彼女は繊細すぎる。
niccoは僕らの前にいるんじゃない、となりにいるんだ。
だから僕らを導いてくれたり、包んでくれたりするわけじゃない。
そう、彼女は、僕たちの保護者じゃない。子どもたちをまもる、大人じゃない。
niccoはただ、「生きている」んだ。ただ必死に。僕らと同じように。僕らと一緒に。
彼女の歌に「答え」はない。「答え」なんて出ない。
だって、僕らの人生は、まだ途中なんだから。
というふうにレビューをまとめようと思ったけど、CDを聴いていたらもう少し書きたくなった。
確かに彼女は「ただ必死で生きているだけ」なんだけど、ただ勢いに任せているのとは違うなぁと思う。
驚いたのは、「未来少年」という曲。
よくある「ディストピアもの(便利だけど非人間的な理想郷をなげく)」とはちがう。
なんたって「未来少年」の主語は「僕たち」なんだから。
ここに出てくる未来世界は空想じゃなくって実感。だからこそ、そう簡単に「ディストピア」にしてたまるか。
シニカルに問題提起している場合じゃない。生きなくっちゃ。
この曲を聴くとわかる。
niccoは確かに等身大の自分の中で、魂を吐き出すように歌っているけれど、それだけじゃない。
同時に、自分を離れて冷静にそれを見つめて、他の人に届けるための目をもっている。
二つの自分と二つの視点。
そのおかげで彼女の曲は、「天才」にありがちなひとりよがりなものからは一線を画している。
なかなかしたたかな彼女の曲は「才能」を消費しながらつくっているんじゃないから、
つくればつくるほど枯れたりせずに、成長していく。
これからが楽しみだ。