僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

とある休日


 午後三時。ポータブルオーディオにお気に入りの曲たちを詰め込んで、僕は家を出る。
 大学二年の頃に買った、使い古した緑色の手提げかばんの中には、ポータブルオーディオといつものメモ帳、クリスタルガイザー、それに文庫本が二冊。村上春樹の『海辺のカフカ』の上下巻。それだけだ。
 手提げかばんを籠に入れ、イヤフォンを左耳にだけ押し込んで、僕は買ったばかりの自転車にまたがる。天気は晴れ。青い空に、真っ白な雲が途切れ途切れに浮かんでいる。
 ポータブルオーディオの電源をONにして、僕は自転車を走らせる。イヤフォンを通じて流れてくるのはBONNY PINKの「A Perfect Sky」。
 太陽の光がまっすぐに降り注いでくる中、幹線道路沿いをゆっくりとした速度で進む。目的地はない。ただ、北へ。家の前の幹線道路を北へ行けば、荒川を越えて埼玉県に出るはずだ。なんとなく東京から離れたくて、僕は埼玉へ向かった。
 しばし、交通量の多い三車線の道路の脇を走る。僕の家の周りは平らな道が多くて、自転車はとても気持ちがいい。オーディオから流れてくる音楽は、次々と切り替わる。ゆずの「いこう」、aikoの「飛行機」、FucTrackの「DESTINATION」、CHARAの「あの家に帰ろう」。
 すばらしい音楽に浸りながら、上機嫌でペダルをこぐ。飛ばしたりはしない。ゆっくりと移り変わっていく景色がいとおしい。
 たまに道を譲ったりすると、すれ違った人が、「ありがとうございます」と声を掛けてくれたりする。そんな小さなふれあいも、なんだかうれしくてつい笑顔になる。
 と、そんなわけで三十分ほど自転車を走らせていると荒川にかかる橋の手前にたどり着く。橋と言っても、片側二車線になった道路がそのまま乗っかった、大きなものだ。
 ……驚いた。うちから自転車で三十分のところに、こんな場所があるなんて。
 東京都と埼玉県を区切る荒川の河川敷は、両岸ともに相当広いスペースに芝生が植えられて公園のようになっており、見渡す限り緑色だった。
 おそらく、川が氾濫した際の緩衝地帯だとか、いろいろな事情があるのだろう。しかし、ここまで広い緑を見ることができる場所は、都会ではなかなか見つけられないのではないだろうか。
 元来、僕は河原というものが好きだ。水の流れは、見ているだけでも気分を落ち着かせてくれる。さらにその隣に草むらがあって、ゆっくりと腰を落ち着かせることができれば申し分ない。
 橋は渡らずにその手前の坂を弾んだ気分で降りていき、川の近くまで行く。そのまま川沿いに自転車を走らせる。川に従ってずっと先まで続く、自転車を走らせるのにぴったりの舗装路なんかもある。平らでまっすぐな道をひたすらに自転車で駆け抜けるのはこの上もなく気持ちいい。BGMはJUDY AND MARYの「くじら12号」に、スピッツの「猫になりたい」、それからNANAIROの「サタディナイトフィーバー」。
 自転車を二十分ほどまっすぐに走らせる。当然のことだが、ただひたすらにまっすぐ走る自転車は速い。二十分でかなりの距離を走ったはずだ。だが、川はどこまでも続き、川沿いの芝生と舗装路もいっこうに途切れない。
 やがて、次の橋が見えてくる。やはり車が何台も通る大きな橋だ。
 今までは川の東京側の岸を走っていたのだが、橋を渡れば埼玉県だ。二十分ほども自転車を走らせてきたから、帰りは同じだけ戻らなければならない。時刻は四時半。そろそろ日も傾いてくる頃だし、帰りは埼玉側の岸を走って最初の橋のところまで戻ればいい。そう考えて僕は橋を渡り、埼玉県へ。オーディオからは19の「あの紙ヒコーキ、くもり空わって」。
 埼玉側の岸は、整備された東京側の岸よりも緑が多い。とはいえ、自転車用道路はちゃんとあって、快適に走る。
 途中、隣の川で生まれたのだろう、大量の蜻蛉の群れが空を舞っているのに出くわす。おそらくはナツアカネと、シオカラトンボのようだ。独特な飛行姿勢で空を飛ぶ蜻蛉に見とれ、そういえば昔の人は、蜻蛉を死んだ人の魂だと考えたのだ、などということをぼんやりと思う。BGMはT.M.Revolutionの「THUNDERBIRD」。
 競艇場や、ボートの練習場などの脇を通り過ぎ、暮れていく太陽の美しさにしばし見とれ、携帯電話のカメラ機能で写真を撮ってみたりする。その美しさは決して切り取れやしないとわかってはいるけれど。あとで思い出すときのためのきっかけくらいにはなるかもしれない。流れているメロディはSHINAPSの「a gleam of hope」。
 周りの景色を堪能しながらゆっくりと走らせていた自転車も、やがて橋までたどり着く。僕は橋を渡って、再び東京に戻ってくる。
 まだ陽は落ちきらない。ふと思い立って僕は、自転車を止める。芝生に腰を下ろし、かばんから文庫本を取り出す。村上春樹の『海辺のカフカ』。
 誰にも邪魔されず、しかも静か過ぎない川岸の芝生は、世界中で最も本を読むのにふさわしいところであるように思えた。それに最近読み始めた村上春樹は、こんな風に自分が見つめられるときにこそ読みたい。
 『海辺のカフカ』の語り口は、間に何かを介入させずに、直接脳に入ってくるように思える。おそらくそれは、その文体が僕が心の中で物事を考えているときの口調とよく似ているからだ。これを読んでいるとき、時折自分が本を読んでいるのか、それとも自分の意思で文章を考えているのかわからなくなることがあるほどだ。
 しばし本を読みふける。限りなく贅沢な時間。
 夢中で本を読み進めて、気がつくとあたりは暗くなり始めていた。太陽はだいぶ傾き、あとわずかで沈みそうだ。本に没頭していて気がつかなかった音楽が、耳に入ってくる。SIAM SHADEの「RAIN」。
 僕は、文庫本をかばんにしまい、自転車にまたがる。帰りの道のりは、それほど長くない。辺りが完全な闇に包まれるよりも早く、家にたどり着けるだろう。
 僕は、ちょっとだけ筋肉痛の太ももをさすりながら、帰路に着く。無意識のうちに、満足げな微笑が僕の顔を支配する。左耳から流れ込んでくるのは、LOST IN TIMEの「通り雨」の、切ない叫び声。