僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

『顔を、洗う。』

 朝目が覚める。
 僕は洗面台へ行き、蛇口をひねる。
 水の粒が、一筋の直線となって流れ出、僕の手を濡らす。
 僕は透き通るそれを手のひらですくい、指の隙間から水を滴らせながら持ち上げて自らの顔にかける。
 水の音に混じってかすかに聞こえてくるラジオから、どこかの国が軍事施設を狙って放ったミサイルが目標をそれて学校に直撃し、百人を超える死者を出したということを、悲痛を装ったアナウンサーの声が告げる。
 僕は一瞬だけ手を止めて、また水をすくって顔に運ぶ。
 何故?
 僕は顔を洗っているからだ。
 これから僕は仕事に行かなければならない仕事に行くには身支度を整えねばならない顔を洗わねばならない顔を洗わねばならない。
 どうして?
 だって僕は社会人だから自分が生きていくための金は自分で稼がないと自立しないと仕事しないと。食べるために生きるために認められるために存在するために。
 だから僕は顔を洗わねばならない。手を止めている暇なんてない。
 はるか遠く異郷の国の子供たちなんてテレビの中だけの存在で、それは御伽噺とおんなじで、「今日は異国の子供たちが多数死にましたので仕事をする気になれません」などと言えるわけもなくて、だからつまり僕にとっては異国の子供の死よりも顔を洗うことの方が数万倍重要なわけで。
 僕は自分が世界でほんの一握りの「幸福な人間」であることを知識で知っていて、それがはるか遠く異郷の国の子供たちの犠牲の上に作られた幸福であることも知っていて、でもだからといって今の幸福を手離して異国の子供たちのために全てを捨てることなんて夢物語で世迷言で、ありえない話だということもわかっていて、だから僕はそういった全てのことに目をつぶって知らないふりをして生きていくのが最も賢明だってこともよくわかっているから、ラジオから聞こえたことを早く御伽噺にして、神妙そうに眉根を寄せて「痛ましいことです」とだけ言って忘却していくようにしようと努力した。
 僕は顔を洗っているんだ。僕は顔を、洗っているんだ。