30分小説「冬の海」
冬の海には近づくな。
浪浜村に住む子供たちで、そう言われたことのない奴はいない。
冬の海には魔のモノが棲む。決して近づいてはならないよ。
今年死んじゃった俺のばあちゃんも、木枯らしが吹いて冬がはじまった日には毎年決まって囲炉裏のところに俺たち兄弟を集めて、シワくちゃの顔を恐ろしげに歪ませてそう言った。そういう時のばあちゃんの顔はなぜだか遠い海の先を見ているようでどこか寂しそうに見えて、俺には冬の海に出るという魔物より、そのままどこかに行ってしまいそうなばあちゃんの表情の方がよっぽど怖かったんだ。
ばあちゃんは今年の夏に死んだ。まだ半年も経ってない。ばあちゃんが死んだ日、死ぬ寸前に大きく息を吸って、その時に一瞬だけ開いた目は、海のはるか先を見つめているように見えた。それで俺は気がついたんだ。冬の海のことを話す時、ばあちゃんはそこに、「死」を見ていたんだって。
悪友の弥吉が「肝試しに冬の海を見に行こうぜ」と言ったとき、いつもの俺なら絶対に乗ったりなんかしなかった。何でもかんでも大人たちに逆らって、始終ひっぱたかれている尻がいつも真っ赤だってんで、「赤尻弥吉」なんて呼ばれてる悪餓鬼とは違って、俺は聞き分けの良い子だから、あいつの悪巧みを止めることはあってもそれに乗ったりはしないんだ。だから先生たちもいつも俺のことを褒めてくれる。
だのに何であの時俺は「俺も一緒に行く」なんて言ってしまったのか、自分でも分からない。ばあちゃんが冬の海に見ていた「死」を、俺も見てみたかったのかもしれないし、今年の木枯らしの日に、ばあちゃんがいつものように「冬の海には近づくな」って、言ってくれなかったせいかもしれない。
誰一人、何も言わなかった。お喋りの弥吉まで、蛇のようにうねる鼠色の水を見つめて惚けたように立ち尽くしている。
冷たい風が、俺たちの髪の毛を乱暴に掻き混ぜてくる。誰もいない、灰色の浜に押し寄せるのは濁った鼠色の水だ。轟々と聞こえる唸り声は、魔物の鳴声だろうか。
俺の目はただ海の先だけを見つめていた。身をくねらせる濁った水の動きは、手招きだった。おいで、おいで。波がいったいどこへ誘っているのだろう。手招きに導かれて、脚が勝手に歩き出しそうになる。同時に感じた強い恐怖で膝が砕けていなかったら、俺は実際に歩き出していただろう。一歩ずつ一歩ずつ前へと。そして、耐えきれなくなって走り出す。砂を散らして、浜を一直線にあの海へ向かって。
不意に、破裂するような泣声が聞こえて振り返る。一番年下の太郎が、恐怖のあまり泣き出したのだ。
それで、みんなが一斉に我に返る。
つられるように、みんなが叫びはじめた。俺も叫んだ。
そうして、俺たちは逃げ出した。全速力で、冬の海から離れるように。
冬の海には、魔物が棲んでいた。それに魅入られたら、戻っては来れない。
浪浜村に住む子供たちで、そう言われたことのない奴はいない。
冬の海には魔のモノが棲む。決して近づいてはならないよ。
今年死んじゃった俺のばあちゃんも、木枯らしが吹いて冬がはじまった日には毎年決まって囲炉裏のところに俺たち兄弟を集めて、シワくちゃの顔を恐ろしげに歪ませてそう言った。そういう時のばあちゃんの顔はなぜだか遠い海の先を見ているようでどこか寂しそうに見えて、俺には冬の海に出るという魔物より、そのままどこかに行ってしまいそうなばあちゃんの表情の方がよっぽど怖かったんだ。
ばあちゃんは今年の夏に死んだ。まだ半年も経ってない。ばあちゃんが死んだ日、死ぬ寸前に大きく息を吸って、その時に一瞬だけ開いた目は、海のはるか先を見つめているように見えた。それで俺は気がついたんだ。冬の海のことを話す時、ばあちゃんはそこに、「死」を見ていたんだって。
悪友の弥吉が「肝試しに冬の海を見に行こうぜ」と言ったとき、いつもの俺なら絶対に乗ったりなんかしなかった。何でもかんでも大人たちに逆らって、始終ひっぱたかれている尻がいつも真っ赤だってんで、「赤尻弥吉」なんて呼ばれてる悪餓鬼とは違って、俺は聞き分けの良い子だから、あいつの悪巧みを止めることはあってもそれに乗ったりはしないんだ。だから先生たちもいつも俺のことを褒めてくれる。
だのに何であの時俺は「俺も一緒に行く」なんて言ってしまったのか、自分でも分からない。ばあちゃんが冬の海に見ていた「死」を、俺も見てみたかったのかもしれないし、今年の木枯らしの日に、ばあちゃんがいつものように「冬の海には近づくな」って、言ってくれなかったせいかもしれない。
誰一人、何も言わなかった。お喋りの弥吉まで、蛇のようにうねる鼠色の水を見つめて惚けたように立ち尽くしている。
冷たい風が、俺たちの髪の毛を乱暴に掻き混ぜてくる。誰もいない、灰色の浜に押し寄せるのは濁った鼠色の水だ。轟々と聞こえる唸り声は、魔物の鳴声だろうか。
俺の目はただ海の先だけを見つめていた。身をくねらせる濁った水の動きは、手招きだった。おいで、おいで。波がいったいどこへ誘っているのだろう。手招きに導かれて、脚が勝手に歩き出しそうになる。同時に感じた強い恐怖で膝が砕けていなかったら、俺は実際に歩き出していただろう。一歩ずつ一歩ずつ前へと。そして、耐えきれなくなって走り出す。砂を散らして、浜を一直線にあの海へ向かって。
不意に、破裂するような泣声が聞こえて振り返る。一番年下の太郎が、恐怖のあまり泣き出したのだ。
それで、みんなが一斉に我に返る。
つられるように、みんなが叫びはじめた。俺も叫んだ。
そうして、俺たちは逃げ出した。全速力で、冬の海から離れるように。
冬の海には、魔物が棲んでいた。それに魅入られたら、戻っては来れない。