僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

30分小説『救い手はつらいよ』

お題:毛根、品質保証マーク、技師、運河、小切手、救い手

 自分が、救い手であることを自覚したのは45を超えた頃だった。
 欲を言えば、もう少し早くに自覚したかったと思う。こう見えても若い頃はそれなりに容姿に自信があり、「イケメン」なんて呼ばれた頃もあったのだが、なけなしの毛根も疲労困憊で、前髪が随分と北上してしまった今となっては、いかに救い手と言えど、いまいち格好がつかない。20年前に自覚していればイケメンカリスマ救い手になれたかもしれないと思うと、ついつい「惜しいなぁ、全く、惜しいったらない」とつぶやいてしまうもんだが、まぁ、こればっかりはまさしく「神のみぞ知る」ってやつで、文句を言えるもんでもないのだろう。
 救い手であることを自覚した時、俺は運河の設備を管理する技師をやっていた。来る日も来る日も、老朽化しまくった設備のメンテナンス、メンテナンス。仕事がなくなることはないし、生活もそれなりに保証されていたが、退屈でしょうがない、食うための仕事だ。もし自分が救い手になるってことがわかってたら、決してこんな人生、選びはしなかっただろう。
 だから俺は、自分が救い手であることを自覚した朝に、勤め先に電話をして、綺麗さっぱり仕事を辞めてやったのさ。俺の上司に当たる所長は、いつもの通りヒステリーを起こして電話口でわめいていたが、もう俺にはそんな事は知ったことじゃない。明日からはもう、所長の甲高い怒鳴り声を聞かなくていいのかと思うと、このときほど、自分が救い手であることを神に感謝したことはなかったね。
 そんな訳で俺は、晴れて自由の身になった。仕事ばかりにかまけて結婚もしてなかったし、恋人は愚か、友人さえろくにいなかったから、本当に俺を縛るものはすでになかった。そう思うと俺は、まるで自分の背中に羽が生えたような気分だった。
 さて、救い手たる俺は、いよいよ救いはじめねばならない。救い手を自覚したからには、万に一つもそのことを疑う訳にはいかないのだった。俺が救い手であるからには、どこかに救われるべき存在が不可欠だ。迷える子羊が俺に助けを求めてきさえすれば、俺にはいつでも、その子羊を救う用意があった。
 幸い、というべきか、趣味もなく、家族もいない俺には、使い切れないほどの貯金があった。俺が一枚小切手を書きさえすれば、飢える家族を抱えた子羊をしばらく養うことだってできただろう。
 だが、救う相手は慎重に選ばなくてはならない。その相手が本当に救われるべき迷える子羊なのかどうか、慎重に見極めなければいけない。世の中には迷える子羊を装った詐欺師が、ゴマンと存在している。そういう輩に騙される訳にはいかないのだ。でなければ俺は救い手としての使命をまっとうできないまま、すべてを失ってこの世に放り出されてしまうだろう。
 今まで、全くパッとしない人生だったが、自分が救い手であることを自覚して、ようやく俺は自分が生まれてきた意味を知ったのだ。ここでまた無意味な人生にもどることなどできはしない。そんな惨めな人生は嫌だ。

 こうして俺は、迷える子羊を探す旅にでることにした。混じりっけなし、純粋の、正真正銘の、品質マーク付きの迷える子羊を、俺は探さなくてはならない。俺が救い手であることを、俺が生きてきた意味を、証明するために。
 なぁ、そこのあんた、あんたは迷える子羊かい? 俺にあんたを、救わせてくれよ。なぁ、いいいだろう?