主体性をもつこと。あるいは、自分の人生の支配者であること。
結局のところ、僕の人生における命題は「主体性をもって生きる」というところにすべて行き着く。という結論に、不意にたどりついた。
他人を信頼する(信用ではなく)のは、自分の主体性でもって「この人になら裏切られてもかまわない」と思うからであり、そういうふうにしていれば、何かを誰かのせいにすることはない。
僕は、自分の人生のいろんなことを誰かのせいにしたくないから、束縛すること・されること、依存すること・されることから、離れる道を選び続けてきた。
おかげで、今の人生はまさしく僕が自分の選択で作り上げたものになっていて、なにひとつ他人のせいにはできない。
今、僕は僕の支配者であるという確かな感覚がある。
家族も、会社も、配偶者も、恋人も、友人も、何も僕を縛らない。
だからといって傍若無人に振る舞ったって楽しくないから、僕は僕の意志で、信頼したい人を信頼して、生きる。
誰かを喜ばせたいと思って何かをすることもある。
自由とは、主体性だ。主体性とは、誰かのせいにしないことだ。
主体性をもつことと、他人の主体性をうばわないこと。
これがたぶん、僕の中でもっとも大切な命題。
さらに言えば、主体性を奪われている人がそこから抜け出すのに手を貸したい、という気持ちもある。
ポリアモリーのことも、働き方のことも、居場所をつくりたいのも。
すべてはつながっているんだ。