絡まった自意識を解きほぐす。
あ、今、よくない精神状態だ。
ふっ、と我に帰って今の自分を見つめて、そんなふうに思う。
自己承認欲求がねじれている。
自信のなさと背中合わせの、注目されたい、愛されたいという渇望。
Twitterのタイムラインに貼りついては、自分への注目を求めてつぶやきを繰り返す。
フォロワーの反応に一喜一憂し、自分より注目されている友人に、激しい嫉妬の炎を燃やす。
なんか、おかしいぞ。
これはよくない。いったいどうして、こんなことになっているのだろう。
今、僕は何者でもない。
誰も、僕に期待しない。
大きすぎる期待に疲れ果て、望んでそこから飛び出したはずだけど、
足場がないことはやはり心許ないのだろう。
自分は世界に必要とされているのだろうか、
なんて、月並みな不安を覚えてしまう。
そしてもうひとつ、お金がないことが、
僕から自信と余裕を奪っているのだろうということは、悔しいけれど認めざるを得ない。
今まで僕がもっていた余裕のようなもの、それは、
少なくとも一部はお金があることに依存していたのだろう。
お金がないからといって、必ずしも魅力的でないことにはならないけれど、
それについて愚痴を言ったり、同情を買おうとしたり、不機嫌になったり、
そういう様子をTwitterで垂れ流している僕は、
やっぱりかっこわるい。
自信と余裕がなくなって魅力的でなくなった僕を、
承認してくれる人はいない。
そうするとさらに僕は承認に飢えていき、
余計に魅力的でなくなっていく。
こんなふうになりたかったわけじゃない。
自由は怖い。
ふと気を抜くと、
すべてのことは過去の栄光に成り下がる。
自己肯定感の低下は、
あっという間に自分の価値を損ねてしまう。
だけど、自由はやっぱり楽しみでもある。
今までやれずにいたこと、なんにだって挑戦できる。
新しいことの前に不安があるのなんて当たり前だ。
自分が、何者でもないただの自分になったとき、
そりゃあ、こわくもある。
でもそこで、うわべだけの自己承認を求めて、
自分を損ねていってはいけない。
いったん自分を、リセットしよう。
ツールに使われるのではなく、使い尽くしてやろう。
自意識を、過大でも過小でもない、あるべき姿に。
自分を、そして大好きな人たちを、信頼するんだ。