「独占しない」愛し方 ~続・僕は「ポリアモリー」~
2年半くらい前から、自分が「ポリアモリー」であることを自覚して、
Twitterなどを通してそれを公言してきた。
「恋人(恋愛的に好きな人)が複数いる」と言うと、
無条件に「非道徳だ。不誠実だ」と決めつけられてしまう世の中に違和感を覚え、
人知れず周囲からの批判・非難に苦しみながら生きている人に届いたらいいな、と思って、
「僕はポリアモリーで、試行錯誤しながらもなんとかしあわせにやっているよ」と伝えてきた。
そのうち、世間で「ポリアモリー」という言葉が急速に広がってきて、最近では何件か、
メディアに取材されたりもするようになった。
僕がかつてブログに書いた記事も、かなりたくさん読まれているようだ。
ここであらためて、僕の想いを書いてみたい。
「ポリアモリー」とは、複数の人と同時に恋愛をすること、
つまり、「(恋愛的に)好きな人が、同時期に複数いること」だ。
最近僕が思うのは、重要なのは決して「複数であること」じゃない、ということ。
それはただの結果にすぎなくて、本当は、僕が選びとりたい生き方は、
「(恋愛的に)好きな人は、ひとりでなくちゃいけない」という規範に、
異議を唱えたい、ということなんだと思う。
「恋愛的に」という括弧書きをとっぱらってしまえば、
賛同してくれる人がたくさんいると思う。
大好きな友人がたくさんいること、それは決して不誠実なことだとは言われない。
「友人」が「排他的」なものではないからだ。
でもなぜか、「恋人」は「排他的」なものだとあつかわれてしまう。
「たくさん友人がいるやつは友情がうすい」などと言われることは普通ないのに、
恋愛に関してはそう言われがちだ。
「どっちも好きだ、なんて言うけど、
二人が同時に崖から落ちそうになっていたらどっちを助けるのか?」
なんて意地悪な質問をしてきたりもする。
でもさ、たとえば子どもが3人いる人に、
「3人のうちだれをいちばん愛しているか?」なんて聞くのはナンセンスじゃないかなぁ。
子どもが5人いたら、それぞれの子どもを5分の1しか愛していない、
なんてことには、ならないと思う。
「愛情」というのは、上限が決まっていて、
それを頭数で割って振り分けなきゃならない、というようなものではないだろう。