僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

34歳。今日も生きてる。

少し前から毎年、誕生日前後にブログ記事を書いている。

「おめでとう!」と言われたいという下心もあるけど(笑)、定点観測的に自分の生き方を振り返るのにちょうどいいからね。

今の気持ちは、こんな感じ。

ここ5年くらい、毎年、誕生日の時点での生き方が、一年前の想像を超えている、っていうのを繰り返している。

30歳のときは結婚したばかりで、31歳のときは「ポリアモリー」という概念に出会って人生が様変わりしていた。

32歳のときは心身を捧げていた図鑑の編集者の仕事を過労と鬱で辞めたところで、33歳のときは、煉's Barでの「居場所づくり」に生きがいを見出していた。

そして今、34歳。

なぜか、長野県という、これまで縁もゆかりもなかった場所にいる。

またしても想像もつかないような仕事をしていて、会いに来てくれる人もたくさんいて、ふとした瞬間に「僕の人生はしあわせだな」なんて確信したりしている。

来年、35歳の自分が何をして何を思っているのか、さっぱりわからない。

わからないけど、わからないことが、とても楽しみ。

絶滅危惧種のうなぎを、大量に売る日本の現状に思うこと

ニホンウナギは、2014年についに国際的な絶滅危惧IB類に指定された。「希少な生き物」としてよく知られるジャイアントパンダやコアラよりも「絶滅の可能性が高い」とされたのである。

一方で、日本ではまた今年も「土用の丑の日」が近づき、全国的に「うなぎを食べよう!」というキャンペーンがすすめられている。

小売業と広告業界の努力の成果により、うなぎを売る勢いは近年、かつての何倍にも高まり、スーパー、コンビニ、牛丼屋などのファストフードで大量の「安いうなぎ」が売られている。

当然、土用の丑の日を過ぎるとうなぎを買う人は桁違いに減るので、丑の日直後には大量のうなぎが、ゴミとして廃棄されるのだろう。

 そんな社会について、思うところをいろいろとつぶやいたので、あとで読み返せるようにブログにまとめておく。

  

 

おまけ。

文月煉哲学 まとめ(とりあえず現状の考え)

最近、生活する環境が変わっても、話をする相手が違っても、僕が語る内容にあまり差がなくなってきた。
僕の中で僕なりの哲学が固まってきた証拠だと思う。
あまり固定化してそれに固執してしまうのはよくないけれど、揺らがなくなってきたのはうれしい。

僕が繰り返し語ってきたことを書き出してみると、たぶんこんな感じ。

①素直でいられること、そういう関係、そういう場所を何より重んじる。
②過去や未来より現在を優先する。
③物事を減点法ではなく加点法で考える。
④何かを選択するとき、その場だけの損得ではなく「長い目」で見る。
⑤誰かの「属性」を元に批判している言説は相手にしない。
⑥思考停止をしない。真実を知らない方が楽だとしても、知った上でどうすべきか判断したい。
⑦絶対の「約束」はしない。未来を縛らない。
⑧他人を操作しない。その結果が自分にとって不都合だったとしても、相手の自由選択を全力で守る。
⑨「常にがんばること」を前提に物事を組み立てない。


さらにわかりやすく短い言葉でまとめると、

偽らない。
ズルはしない。
目をふさがない。
無理はしない。
できないことは言わない。
変わることを厭わない。

という感じかなぁ。

かわいくて音のいいスピーカーが、部屋に音楽を満たす。

 

新しく買ったスピーカーがとても素晴らしいのでご紹介。

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箱を開けた途端、予想以上の小ささに驚いた。

ちょっと大きめのみかんくらい。りんごよりはだいぶ小さい。

あまりに小さいので音が不安だったけど、ロックバンドのベースの音も、細かなハイハットの音もちゃんと聞こえる。

どちらかというと少しこもり気味の、暖かめの音かな。

スマホやノートパソコンのスピーカーの、シャカシャカした音が目立つのとは、全然ちがう。聴いていて、つかれない音。
 4畳半の僕の部屋で音楽をかけると、「音に包まれる」って感じがする。

 

Ankerの商品は、シンプルの極み、という感じのデザインがいい。

無駄な飾りや色やマークがなくて、だけどゆるやかな丸みがあるので無機質でもない。

 

音楽を聴く環境は、数年でめまぐるしく変わっている。

10年くらい前まではさかんに売られていた「ラジカセ」や「ミニコンポ」は、今じゃほとんど見られない。

「小さいスピーカーではまともな音は出ない」ということもなくなってきた。

スマホで音楽を聴く時代、Bluetoothのスピーカーは、最適解なのかもしれない。

このスピーカーは充電式だから、使うときは本当にコードレスだ。

机の上にみかんくらいのオブジェクトを置くと、部屋が音楽で満たされる。そんな、おとぎ話みたいなことが、今では3000円以内で実現できるんだな。

 

 

距離の制約を越えた「居場所」をつくる ~Skypeグループビデオ通話でのエアホームパーティー~

昨日、我が家で恒例のホームパーティー「煉's Bar」を開催した。
都心近くの神奈川県から、だいぶ離れた長野県に引っ越してから、初めての開催。
これまで200人近く来てくれた「煉's Bar」の常連さんたちは、
ほとんどが首都圏に住んでいて、はるばる長野県まで来るのはちょっとハードルが高い……
というわけで、ホームパーティー当日に我が家にいたのは僕とおくさんの二人だけ。
参加者はゼロ。
直近の3月に神奈川で開催したときには15人ほどのお客さんが来ていたから、
距離の制約は思ったよりも手強いらしい。

でも、嘆いてばかりはいられない。
これから僕は、この地でしばらく生きていくつもりなのだから、
僕の生きがいでありライフワークである「居場所をつくる」ということ、
そのための煉's Barをなくしてしまうわけにはいかない。

そんなわけで、昨日開催したのは「エア煉's Bar」。
Skypeのグループビデオ通話を利用して、参加者それぞれが自宅にいながら
「我が家に集う」新しい形のホームパーティー。
要は、それぞれの一人家飲みを映像と音声でつないだだけなんだけど。
パーティー会場は、「インターネットの雲(クラウド)の上」なんて言えるかも。
Skypeを使ったのも相当久しぶりで、もちろんグループ通話なんて初めてで、
うまくいくかどうか少し不安だったけど、
結果としては参加者8名、通話時間は約5時間。
途切れることなく話が弾み(主に僕がしゃべっていたけど)、
とても楽しいイベントになった。

SNSや趣味をきっかけに知り合った人は、「現実的な利害関係がない人」だ。
つまり、血のつながりもなく、仕事関係でもなく、地元の知り合いでもない。
そういう人とならば、だれにも言えなかった自分の本心をさらけ出すことができる。
それが「煉's Bar」の、あるいはオフ会全体の利点だと思う。
だからこそ「煉's Bar」は、ふだん生きづらさを抱えているような、
多くの人たちにとっての居場所になり得てきた。

新しく生まれた「エア煉's Bar」は、これまで参加できなかった人たちにも開かれた、
さらに大きな可能性をもった「居場所」になっていけるのかもしれない。
僕だけでなく、みんながいろんなところで「エアオフ会」を開催してくれたら、
現代の人たちの「さびしさ」が、ほんの少しはやわらぐのかもしれないね。

これからもちょくちょく、「エア煉's Bar」を開催していこうと思います。
興味がある方は、僕のTwitterアカウントをフォローしてみてね。

仕事に関するつぶやきまとめ。

最近のつぶやきから、仕事に関するものをピックアップして、並べてみる。

ちょっと脈絡がないけれど、考える種になりそうなものばかり。

 

 

仕事には、「やらなきゃいけないこと」「やった方がいいこと」「やった方がいいかもしれないこと」があると思う。
企画とか営業みたいな仕事だと、特にその差が顕著で、その割合は1:100:1000くらいなんじゃないかと思うんだけど、「やる気のある人」は、それを1101個全部やろうとしてしまう。
僕は体力がある方じゃないから、できるのはそのうちせいぜい100個しかない。
そして僕ががんばるべきは、100個を1000個に増やすことではなく(そんなことしたら潰れる)、「やらなきゃいけないこと」を見極めて決して落とさないようにすることだ。
そのためには100個を30個に減らしたっていい。
「やる気のある人」だらけの環境の中で、「やった方がいいかもしれないこと」に関して、それは優先順位が低いからやりません、と宣言することは、とてもきついことだ。
でも、それができないと少なくとも僕はいい仕事をすることはできない、と経験からわかっている。
経験によって仕事ができるようになる、ということは、自分なりの成長の道筋を理解することなのかもしれない。あ、このやり方では僕は伸びないな、と自覚することも大事。


僕はそもそも、社会にあまりうまく適合できない方で、だからこそ、試行錯誤を繰り返して、まっすぐではない道のりを歩きながら生きている。
でも、僕みたいに「平凡」を選べない人は「非凡」を目指さないといけない、ということになってしまうと、ちょっとつらいな。
今の僕の立場は、既存のシステムが出来上がっている役所に乗り込んで、役所の職員じゃできないようなことでも僕達ならできるぜ、ってうそぶいて、どんどん改革していくことなんだけど。
そういう「非凡さを発揮せねばならない」みたいな環境は、正直言ってすり減ってしまう。
もう少し怠け者に生きたいのだけど。


僕はこれまで、たくさんお金が欲しい、と思ったことはないし、割と最低限のお金で生きられる方だ。
だけど、20代の頃の給料の差は、多い人でも大抵はせいぜい僕の2倍とかくらいだけど、働きだしてから10年目、20年目になってくると桁が違ってくる。
そうなると流石に、住む世界が変わっちゃうよね。
年収が10倍、ってことはあんまりないけど、貯金なら10倍どころじゃない。
少し年上の地元の人なんかが、5000万円かけて家を建てた、とか聞くとどこの世界の出来事だろう、と思ってしまう。
さいわいなことに、僕は家を建てたいと思ったことが今までに一度もないので、別に妬む気持ちもないのだけど、「もし家を建てるとしたら……」という想像さえ、非現実的すぎて考える気が失せてしまうのは、少し寂しい。
僕にとってその想像は、「もし空が飛べたら」と同じくらい、文字通り「雲の上の出来事」だ。
上の世代の人たちとも仲良くなりたいし共感し合いたいけれど、そのあたりの断絶があまりに大きすぎて、なかなか共通理解が難しい。
たとえば「仕事に不満があってもそう簡単にはやめられない」というような感覚、僕にはいつも理解できなかったけど、「30年後に使えるお金が50分の1になっているかもしれない(5000万円か100万円か)」という危機感として捉えると、なるほどそれは怖いかもしれないな、と思う。


今やっている仕事について疑問を感じて、「このままでいいのかなぁ」と思ったら、自分の能力が今の10倍に上がったら、と仮定して、その能力をそこで発揮したいだろうか、ということを考えてみるといいかもしれない。
つまり、今の自分の頑張りの先に、自分の理想とするものがあるかどうか。
せっかく仕事をするならば、その仕事を通して「世界を良くするのに貢献」したい、と僕は思う。
自分の仕事の成果が、自分が考えるより良い世界づくりに役立つかどうか。
逆に言えば、たとえ職場が楽しくて、同僚がいい人でも、自分のやっていることをこれ以上頑張ることに価値はない、と思ってしまったら、僕はそこにいられないと思う。

【ネタバレ注意】「けものフレンズ」の続きを構想してみた。【ハードボイルド】

ようやく、話題の「けものフレンズ」を最終話まで見た。
最初は、「何でこの人たちこんなにのほほんとしてるんだー」と、ちょっとイライラしていたけど、見ているうちに個性的なキャラクターに愛着も湧いてきて、それなりに楽しく見ていた。
が、最終話で思いっきり拍子抜け。

あれ? こんなに強引なほのぼのエンディングでいいの?
ちらちら出していた、なんとも不穏なジャパリパークの設定は全部なかったかのようにして、
「みんななかよしだねー、かばんちゃんがんばれー、今日もたーのしー!」
みたいに終わらせちゃっていいの??

ジャパリパークは、「ヒト」のためのテーマパークとしてつくられた。
・「フレンズ」は、謎の自然現象「サンドスター」によって獣が美少女化した存在で、ジャパリパークでは「フレンズ」を見世物にするために、「ジャパリまん」という食糧を供給することで飼育している。
ジャパリパークはテーマパークとして運営していたが、謎の存在「セルリアン」による襲撃に対応しきなかったため、はるか昔に「ヒト」によって廃棄された。「フレンズ」の管理と「ヒト」への案内役として設置されたロボット(?)「ラッキービースト」は現在でも、緊急時を除いて「ヒト」に対してのみ会話を行う。
・獣とサンドスターが反応すると「フレンズ」になるが、遺物(動物だったもの)と反応してフレンズが生まれることもあるらしい。最終話まで見ると、かばんちゃんは、かつてジャパリパーク管理者の一人だった「ミライ」という人物の髪の毛から生まれたフレンズ、ということになるようだ。

ちょっと書き出しただけでもこれだけの設定。
まるまる一本長編SFが書けそうな設定だが、アニメではなにひとつ解決されていない。
これじゃあ納得できないぞ!
…‥っていうか、元物書きとして、こんなに面白い設定をそのままにしておくのはもったいない!
というわけで勝手に、ハードボイルドSFとしての続編を構想してみた。
アニメを一度通しで見ただけの知識で勝手気ままに書いているので、事実誤認や、理解の足りない部分はご容赦。


けものフレンズ ジャパリパーク戦国編 プロローグ】
ジャパリバスを改造してつくった船によってジャパリパークのある島「キュウシュウ」を出発して、
「ゴコクチホウ」にたどり着いたかばんとサーバル(とラッキービーストの AI)。
そこでかばんが目にしたのは、ヒトの町の……残骸。
おそらくは、ずっと昔に何かの天変地異で滅んだのだろう。かつては相当栄えたらしいその都市は、今は見る影もない。
生き残りを探して廃墟を歩くかばんたちは、地下のシェルターの中に、謎の駆動音を響かせる巨大装置を見つける。
装置の前に来ると、ラッキービーストが「ミライ」の声を再生し始める。
ミライによると、この装置はジャパリパーク管理用のマザーコンピュータで、今もパークにジャパリまんを供給し続けているもののようだ。
装置を眺めていたかばんは、気になる表示を発見する。
そこにはこう示されていた。
「稼働残り時間:365日 セーフモードに移行。あと365日で、全機能を停止します」

パークの危機を知り、慌ててキュウシュウに引き返すかばんたち。
ところが、パークではすでにジャパリまんの供給が激減し、大混乱に陥っていた。
無限にあると思っていた食料が制限され、ジャパリまんの獲得を巡り争いが始まる。
危機を知った博士は「ジャパリパーク民主政府」をつくり、自ら仮の大統領に着任して(助手が首相)、ジャパリまんの配給制度をつくろうとする。
一方ライオンは、彼女を慕うフレンズたちに祭り上げられて国王を名乗ることにし、より多くのジャパリまんの獲得を元にした国民の庇護を目指す。

かばんが港に上陸したとき、パークでは民主政府と王国が一触即発の状態だった。
慌てて仲裁に入ろうとしたかばんは、突如現れた覆面の集団に襲われ、誘拐されてしまう。
かばんを誘拐した集団は、「神官」ツチノコをリーダーとする教団。
彼らはヒトであるかばんを「神」として祭り上げ、その威光でジャパリパークの統一を図ろうとしているのである。
残されたサーバルは博士と協力し、さらわれたかばんの奪回を目指す。
いっぽうかばんは、教団における「神」の立場を利用することでフレンズたちの協力を獲得して、装置の停止を防ぐ手段を探ることを決意。パークに向けて「自分は神である」と宣言する演説を行う。
かばんの「神宣言」を耳にしたライオン国王は激怒し、王国による教団掃討作戦を開始する……。

 

とりあえず、今日はここまで。