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僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

世界を、広げる。

僕が大学を出て、社会人になって驚いたことは、世界が広いということを知ったことだった。
つまりは、自分が今まで生きていた世界がどれだけ小さかったのかということを知った、ということでもある。
僕には、あんまりにたくさん知らないことがあった。
社会の仕組みがどうなっていて、
どういうふうにものが自分の手元に届くのかもよくわからなかったし、
自分がついた「営業」という仕事が、一体何をするのかも全然わかっていなかった。

 

大学を卒業するまで、こんなにもものを知らなくても生きていけていたのか、と驚いた。
そういえば学生の時の僕は、「やろうかどうしようか」と迷ったら、
失敗を恐れて必ず「まぁ、やめておこう」と選ぶような性格だった。
今だったら、「学生時代の時に、失敗して取り返しがつかなくなるようなことはまずありゃしないんだから、

何でもとにかくやってみれば、
成功しても失敗しても、必ずやらないより得をするよ」
とあの頃の僕に言ってやるのに。

 

そんなわけで今の僕は、新しいことをして、
自分の世界を広げることが楽しくて仕方がない。
自分の性格をいきなり180°変えられるわけじゃないから、びくびくと、おそるおそるではあるけれど。
人に出会うこと、誰かの話を聞くこと、知らなかったものに興味を持つこと。
何かに興味を持つと、それについての様々なことを知りたくなって、一気に自分の世界が広がる快感がある。

前に「何かを好きになるのには時間がかかる」と書いたけど、まさにその通りで、

忙しい毎日の中でただ漠然と色んな情報に触れているだけでは、何かに興味を持ったり、好きになったりすることは難しい。
残念ながら多くのサラリーマンは、会社に入って数年はいいけれど、
ある程度長く仕事をしていると、決まりきった毎日の世界だけで満足していまい、却って自分の世界を狭くしてしまうことも多い。
忙しいとは心を亡くすと書く、などというのはよく言われていることだけど、忙しくて新しい世界に興味なんて持っている暇がない、というのは、
僕自身働いている頃は実感していたけれど、すごく寂しくて、切ないことだった。
日々に新しい刺激がなくなると、あっという間に月日は経っちゃって、気がついたら何にもしないうちに、何をするにも億劫な、おじいちゃんになっちゃうよ!

 

本屋に行ってめぼしい本を物色したりしているとき、何だか唐突にそこに陳列してある本を全て読み尽くしてしまいたくなって、だけどそんなことは決してできないってことにすぐ気がついて、何だか無性に切なくなることがよくある。
世界がものすごく広い、っていうことを知ると、自分が生きているうちに世界のすべてのことに触れるなんて到底無理だ、ってことがわかる。
きっと世界にはまだまだ僕の知らない面白いことがあるのに、僕はそれを知らないで死んでいってしまうかもしれないんだなぁ、なんて思ったりする。
でも、考えてみたらそれは幸福かもしれないよね。
逆に考えれば、僕が生きているうちに、「もう世界には面白いことは何にもない」なんて絶望することはあり得ない、ってことでもあるんだから。

 

勝ち組だとか、そんな言葉には興味がないけど、僕が尊敬するのは、どんなに年を取ったって、「これが今面白いんだよ!」って目を輝かせて言える人。
人になんと言われたって、そんなおじいちゃんになれたら、それまでの人生、正解だった、って言える気がしないかい?

 

※過去に別ブログで書いたものを転載

未来予想図を破り捨てよう

大学を卒業してからずっと、「5年後の自分が全く想像できない」生き方をしてきている。

23歳のとき、僕は営業マンだった。
28歳のときは、子供のための図鑑をつくっていた。
33歳の今、結婚していて、恋人が三人いて、定期的にホームイベントを開いている。
38歳の僕は、何をしているだろう?

この国では、小さな頃からよく、「将来の夢」を聞かれる。
「将来の夢は?」と尋ねられたら、ふつうはなんらかの職業を答えるものらしい。
いちど就いた職は生涯変わらないことが当たり前のような価値観。
大学生のときも「ライフプランを考えろ」なんて言われたなぁ。

22歳のときの僕に、今の生活なんて思い浮かべられなかった。
だけど今僕は、あのころ思い浮かべることができたどんな生き方よりも、
充実した、しあわせな日々を送っている。

人は、変わる。
まだ知らないものを知っていく。
未来予想図では、変わったあとの自分のしあわせは描けない。
勝手に「未来のしあわせのかたち」を決めてしまうのは、
まだ想像もできない、未来の自分に失礼だ。

今よりも狭い世界しか知らなかった過去の自分が描いた、
窮屈な未来予想図なんて、破り捨てちゃいなよ。

僕が「ポリアモリー」を発信するわけ

僕がツイートで予想したとおりに、

脊髄反射的なポリアモリー批判はもうほとんどなくなったみたい。
こんなタイミングで、それでもまだこの言葉が心に残っているあなたへ、
僕が「ポリアモリー」を発信するわけを伝えたいと思う。

ポリアモリーを批判する言葉の中に数多くあったのが、
「黙ってやっていればいい、表舞台に出てこようとするから叩かれるんだ」
というもの。
まぁ、そうかもしれない。
僕はもうすでに、見ず知らずのだれかに認めてもらったりしなくても、
僕の手のとどく範囲の親しいなかまたちとともに、しあわせにくらしている。
このままの生活を続けようとするのならば、口を閉ざしてしまってもいいのかもしれない。
だけど。
今僕の周りにいる大切な人たちとつながることができたのは、
僕が声を上げたからだ。

同時に複数の人を愛してしまうことはいけないことなのだろうか?
好きな人たちみんなで、しあわせになれる方法はどこにもないのだろうか?
そんなふうに思ったどこかのだれかが、
インターネットの海を泳いで、僕のところにたどり着いた。
そのために必要だったのが「ポリアモリー」という言葉の「目印」だ。
僕自身はもうしあわせで、これ以上周りに望むことはないのだけれど、
日本中にはまだまだ、一人で悩んでいる人が大勢いるんだろう。

僕自身は教祖でもなければカウンセラーでもないから、
流れ着いた人を救うことができるわけじゃない。
だけどもしかしたら、僕自身がしあわせに生きていることそのものが、
だれかを少しだけ勇気づけるかもしれない。

世界の意識を変えられるのはまだまだ先だろう。
今はまだそこまで望んでいるわけじゃない。
ただ、孤独にふるえている、あなたのところに届いたらいいな。

中くらい。

ふと、思ったこと。
「大きいことはいいことだ」とは、僕はぜんぜん思わない。
昔から、大きくなることにはあんまり興味がなかったなぁ、と思う。
大きくなる、ってのはまぁ、いろんな意味でね。
「ビッグになる」とか言った方が、意味は伝わりやすいかな。
この、「ビッグになる」とかいう言葉は
もはや死語になっている気がするように、
たぶん世間の風潮は、大きくなることばかりを目指すのは
そろそろお終いだ、と思い始めているようにも感じる。
とはいえ、ビジネスの世界では、
まだまだそういう雰囲気は残っている気もするけどね。
いまだにいろんな業界で「大合併」が進んでいるのとか見ると、
そんなに大きくなってどうするんだ、ってよく思う。

「大きくなんてなくてもいい」っていう考え方は、
とてもいいと思う。
「足るを知る」という言葉もあるけど、
実際問題、年収1000万円とか、僕には使いきれる気がしないし。

だけどそこでふと思う。
「大きくなんてなくていい」、という考え方は、
反動的に、「じゃあものすごく小さくなる」ってことになりがちだなぁ、と。
格差社会、なんていう言葉にはあまり意味を感じないけど、
でもとにかく二極化が進んでいるという実感はある。
構造、というよりも、多くの人々が進んで極端なものを望んでいるようにも見える。
二元論化、と言ってもいいのかも。

そこで僕が感じるのは、もっと「中くらい」が
見直されるようになったらいいな、ということ。
大きいのも、小さいのも極端だ。
どっちにしても、利点と欠点がそれぞれに大きすぎる。
そういう状態は、たぶん余裕がなくなってくる。
いちばん余裕がある状態って、「中くらい」じゃないだろうか。

大企業と中小企業、という言葉はあるけど、
それは大きいのと小さいの、という意味だ。
単独で中企業っていう言葉はない。
今までの社会では、「中企業であることを貫く」っていうのは、
なかなか受け入れられなかったのかもしれない。
でも今、そういうのを目指してもいいんじゃないかと、
僕は思うのだ。

そういえば、かつて僕が衝撃を受けた「ほぼ日刊イトイ新聞」のコピーは、
「ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア」
だったなぁ。

めざせ、中くらい。

 

※5年前に別ブログで書いたものを、転載。

メメント・モリ~死をおもうこと

僕は体がよわい。

幼いころはとくにひどくて、幼稚園は3分の1くらいを病欠していたらしい。
小学校以降はそこまででもなかったので、卒業や進級をあやぶまれることはなかったが、
それでも皆勤賞とは程遠く、毎年2,3回は風邪などで数日寝込む。

とくに熱を出すのがひどい。
小学生くらいまでは高熱からくる熱性けいれんでよく気を失って病院に運ばれていたそうだ。
これまでもっとも高かった熱は42℃で(そこまでしか測れない体温計だった)、
今でも1年に1回くらいは40℃を超える熱を出す。

世の中には「体が丈夫なだけが取り柄」ということをさもうれしげに言いたがる人が結構いて、
そういう人からの聞きかじりの、「40℃を超える熱を出すと脳みそが溶けちゃうらしいよ」
というセリフはもはや聞き飽きた。
「わたしもたまには熱でも出して会社を休みたいなぁ」とか言ってくる人に対しては、怒りを通り越して呆れる。

「病は気から」という言葉があるが、「気は病から」というのもあるのだろう。
熱を出しているとき、僕はとてつもなくよわい。
高熱による寒気や悪寒、頭痛や怠さに襲われているときは、
なにもできず、ただそれが過ぎ去るのを祈ることしかできない。
そして、限りなく悲観的になった僕の頭は、その時間が永久に続くのではないかと錯覚する。
実際には数日もすればウソのように熱は下がり、
元通りに体が動くようになるというのをいつも体験しているにも関わらず、
治るなんてことはありえない、と思ってしまう。

そうして僕は、死をおもう。
体がよわく、極端にやせていて力もない僕は、
原始時代だったら今の歳まで生きることはできずに死んでいただろうという確信がある。
僕を生かしているのは文明と、知性の力だ。
理屈っぽいとか理論武装とか言われるが、そうしないと僕は、
文字通り、死んでしまうのだ。

だから僕は、遠い未来のために今を犠牲にすることをよしとしない。
遠い未来なんて、僕にはないかもしれないのだ。
別に不治の病に侵されているわけでもないのにこんなことを言うのは、
大袈裟で自意識過剰で、自己陶酔にすぎないことはわかっているけれど。

まずは今を生きよう。
もし僥倖にも、十年後生き残っていたら、そのときは十年後の今を生きよう。

文月煉のおすすめ本。

Twitterで紹介したものを転載。

1冊につき140字以内の解説を添えて紹介、ってなかなかいい試みなので、今後も機会を見つけて追加していきたいかも。

 

1.伊藤計劃虐殺器官

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 大量殺人を止めるための殺人は「倫理的」か。そのために脳をいじり、罪悪感をなくすことは?

SFでありながら、「明日にでも起こりそうな」リアルさに、背筋が震える。主人公の葛藤から、目が離せなくなる。


2.いしいしんじ『ぶらんこ乗り』

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

 

 「天才で悲劇的な弟」について語る、姉の文章でつづられる、静かで悲しいファンタジー。

本の中に挿入される「弟が書いた物語」の研ぎ澄まされたことばたちに圧倒される。
孤独で美しい完全な物語。


3.友野詳ルナル・サーガ

 冒険の予感に満ちあふれた世界の設定、手に汗握る物語と魅力的な登場人物たちの葛藤と成長。

ファンタジー小説の楽しさをすべて詰め込んだシリーズ。
ライトノベルだけど、大作ハイ・ファンタジーとも言える。


4.吉田直トリニティ・ブラッド

 作者がなくなってしまったために、未完なのが悔やまれる、ものすごい密度のゴシックファンタジーSF。設定のことごとくが、中二病をくすぐるかっこよさなのに、実際の世界史や宗教学も踏まえていて、すごい。


5.堀田善衞『路上の人』

路上の人

路上の人

 

 中世ヨーロッパを舞台にした硬派な歴史小説

「どこの国にも属さない路上生活者」が主人公。教会に所属し、些細な教義の違いで泥沼の争いを繰り広げる聖職者と、何にもとらわれない主人公との対比が面白い。


6.芝崎みゆき『古代マヤ・アステカ不可思議大全』

古代マヤ・アステカ不可思議大全

古代マヤ・アステカ不可思議大全

 

 世界にたくさんある神話の中でもいちばんマイナーでいちばん奇妙と言ってもいい、マヤとアステカの神話と遺跡について、全編手書き!という謎の情熱で描いた本。初心者向け&マニアックを両立。


7.乙一きみにしか聞こえない

この短編集の中に収められている「しあわせはこねこのかたち」が、乙一の中でいちばん好き。乙一は、無理に風呂敷を広げず、狭い狭い世界の中での細かい部分を丁寧に描くのがうまいのだなぁと思う。


8.向山貴彦『童話物語』

童話物語〈上〉大きなお話の始まり (幻冬舎文庫)

童話物語〈上〉大きなお話の始まり (幻冬舎文庫)

 

 まるではるかヨーロッパで昔から語り継がれきた幻想小説ではないかと思える、洗練された物語。タイトルから優しいおとぎ話を想像してしまうが、これでもかと主人公に襲いかかる運命はつらい。でも読み切る価値は、ある。


9.山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』

伝わる・揺さぶる! 文章を書く (PHP新書)

伝わる・揺さぶる! 文章を書く (PHP新書)

 

 世の中に数多ある文章術の本の中では圧倒的な出来だと思う。

「どんな体裁にすべきか」という表層的なことではなく、「文の目的を理解し、そのための方法を考える」という本質的な技術。


10.湯浅誠『どんとこい、貧困!』

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

 

 中学生向けシリーズ本のひとつで、貧困論として、だけでなく社会学の入門書として素晴らしい本。

「原因と結果」は世の中で考えられているような単純なものではなく、もっと構造的だ、ということがわかる。


11.九岡望エスケヱプ・スピヰド

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)

 

 架空戦記、SF戦闘ロボット、青春群像劇、という要素を全て兼ね備えた素晴らしいライトノベル

新しく登場するキャラクターと設定がことごとく魅力的で、読み進めるのが楽しくてしょうがない。


12.長野まゆみ『野ばら』

野ばら (河出文庫―BUNGEI Collection)

野ばら (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

 長野まゆみの小説は、言葉すべてが詩。透き通った文章は、読み進めるうちに魔法にかけられたような気分にさせてくれる。

通勤電車の中で読んでも、ひととき幻の世界に連れて行ってくれること間違い無し。


13.サン=テグジュペリ『人間の大地』

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

 

 『星の王子さま』の作者として有名なサン=テグジュペリが、自分の人生を見つめて書いたエッセイ。まだフライトが危険な時代に飛行士として、常に死と隣り合わせにいながら星を見つめ続けた美しい文章。


14.上橋菜穂子精霊の守り人

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

 

 緻密に作られた世界設定で、ファンタジーでありながら歴史小説のような重厚さをもつ大きな大きな物語

シリーズの中では、人の思惑が交差する、皇太子チャグムを主人公とした『旅人』と名のつく作品が好き。


15.藤本ひとみハプスブルクの宝剣』

ハプスブルクの宝剣〈上〉 (文春文庫)

ハプスブルクの宝剣〈上〉 (文春文庫)

 

 藤本ひとみ歴史小説は、世界観や政治的な大局の解説の部分と、人間の心情に寄り添った部分とのバランスがとてもよくて、難しすぎず没入できる。

この作品は、影のある主人公が非常に魅力的。


16.森達也『世界を信じるためのメソッド』

 中学生向けで、うすくてすぐに読めるので、メディア・リテラシーの基本として、誰もが一度読んでほしい本。

「メディアが示すのは、事実のたったひとつの断面に過ぎない」


17.岡檀『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 

 周囲と比べて極めて自殺の少ない町にある「自殺抑制因子」は一体何なのかを丁寧に見極めようと試みた本。

まだまだはじまったばかりの研究だが、「生きづらさ」を解決する希望。


18.『日本の昆虫1400』

日本の昆虫1400 (1) チョウ・バッタ・セミ (ポケット図鑑)

日本の昆虫1400 (1) チョウ・バッタ・セミ (ポケット図鑑)

 

 身の回りにいる昆虫が「なんていう虫なのか」を調べようと思ったら、この図鑑が最適。

よくある「平らに広げて真上から撮った」標本写真ではなく、白い背景にまるで生きているように載せて撮った写真が素晴らしい。


19.サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

 

ありがちで悔しいけど、主人公のホールデンは、とても他人とは思えない。

クソッタレなものであふれたこの世の中で、崖から落っこちそうになっている子供をキャッチするようなことがしたい。


20.瀬川昌男『星と星座の伝説 夏』

星と星座の伝説 夏

星と星座の伝説 夏

 

小学校低学年のときにおばあちゃんに買ってもらって、僕が神話マニアになるきっかけをつくった思い入れ深い本。

ギリシャ神話を中心に星の神話がたくさん。人間臭いゼウスやアポロンが好き。


21.内田樹『街場の中国論』

増補版 街場の中国論

増補版 街場の中国論

 

 大人気作家、内田氏の本には当たり外れがある。ブログの記事をピックアップしただけの本は、論旨もストーリーもなくて面白くないが、本書のように大学の講義をもとに書かれたものは、考えるきっかけを与えてくれる。


22.豊島ミホ『リテイク・シックスティーン』

27歳の女が、過去にタイムスリップして女子高生をやりなおす。冴えなかった高校生活を充実させれば、未来はバラ色になるはず?!

エッセイ『底辺女子高生』と合わせて読むと、なかなか刺さる。


23.夏目漱石草枕

草枕

草枕

 

漱石の作品の中ではこれがいちばん好き。

高すぎる自意識をもてあました若造が、「くだらない世の中から離れよう」と隠遁生活を目指しつつ、寂しさから逃れることはとてもできやしない、と自覚する。身につまされる。


24.たつみや章『月神の統べる森で』

月神の統べる森で

月神の統べる森で

 

 まさかの縄文ファンタジー!

縄文時代から弥生時代へ、ムラからクニヘと変わるその瞬間の、人々の心の揺れを丁寧に描く。透き通るように美しいシクイルケのたたずまいが、とても好き。


25.山本弘『神は沈黙せず』

SFは壮大なホラ話。風呂敷は、広げれば広げるほど面白い。

というわけで、B級オカルトものかと思いきや、「創造主たる神」にまで手を伸ばしてしまったから、さあ、たいへん。
「都市伝説」の頂点、みたいな話。


26.遠藤周作『イエスの生涯』

イエスの生涯 (新潮文庫)

イエスの生涯 (新潮文庫)

 

小説というべきか、神学というべきか。

カトリックのクリスチャンである遠藤周作が、自分なりの信仰を見出すために、「イエスとはどんな存在であったか」を探ろうとした本。「同伴者イエス」という結論。


27.山岸俊男『「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門』

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

 

 いじめが起こる原因は「悪人がいるから」ではない。いじめをするインセンティブを与えるしくみがあるからだ。社会の問題を「心」ではなく「しくみ」で読み解く。

いつまで「ムラ社会」をやってるつもり?

結局のところ僕が違和感を覚えるもの、
打破したいと思っているものは、
いわゆる「ムラ社会」というやつに他ならないのだ。

僕の考える「ムラ社会」の特徴は、

1. 世界を「身内」と「よそ者」に二分割する。
2. 「身内」には同質化を強要する。自分たちの「常識」から外れないようにさせる。
3. 2を前提として、「身内」を盲信的に信頼できるものとみなす。
「何があっても(何をされても)裏切らない」ことを美徳とする。
その一方で、「よそ者」に対しては強い警戒心(あるいは敵対心)を持ち、どこまでも冷淡になる。
4.個人の幸福やほかのあらゆるルール(法律、憲法、人権など)よりも、
ムラの掟が最優先。

現代日本で取り沙汰される、いじめも児童虐待も、
排外主義も労働基準法違反のブラック企業も、
どれも「ムラ社会」に起因した問題だといえるだろう。

ムラ社会にしないために大事な考え方が、「是々非々」だ。
「(立場に関係なく)是を是とし、非を非とす」ということで、
つまりは、誰の行為であれ正しいことは正しい、間違ったことは間違っている、
と判断できることが大事、ということ。

是々非々を貫き通すのは難しい。
そうすることは薄情だと思われたり、冷たい人間だとよばれたりする。
是々非々とは全く逆の、
「愛するあなたのすることは(たとえ間違ったことであっても)絶対に協力する」とか、
「あなたに敵対するやつは(対立している原因があなたにあったとしても)私が叩きのめす」
という、「身内を過剰にひいきする人」が、「愛情の深い人」とよばれ、人気者になったりする。

ムラ社会」ではしばしば、身内に対する一体感を高めたり、身内への忠誠を示したりするために、
半ばパフォーマンス的によそ者の軽視やよそ者への攻撃がなされる。
身内の集まりの中によそ者の言動を晒して笑いものにしたり、
よそ者に対して行ったひどい行為を、武勇伝として語ったりしたがる。
「いじめ」がなくならないのは、いじめる行為が、
あらゆるルールよりも優先されるムラの掟の中において
「非難されること」ではなく「称賛されること」だからだ。

だが、身内としてひいきされることで得られる安心感は、とても危ういものだ。
いつなんどき「お前は身内じゃない」とみなされるかわからないし、
そうなれば今まで自身がよそ者にそうしていたように、どこまでも残酷な扱いをされる。
そして、「ムラ社会」の人たちはそれを止めてはくれない。
だから「ムラ社会」の人間は、「ムラ八分」をおそれ、つねに身内の顔色をうかがいながら生きる。

そんな偽りの安心にすがるよりは、ムラの境界の石垣をとっぱらって、
「相手がよそ者だろうが誰だろうが、ひどいことはしない。
ムラの掟なんかより優先する基本的人権自然権)は誰にでもある」
と言ったのがフランスの人権宣言だったのだけど、
200年以上たった今でも、その考えが実現するのはなかなか難しい。

今こそ目指したい、目指すべきことは「ムラ社会からの脱出」だと、僕は思うのだ。