僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

認知的不協和

エビリファイという液のようなやつをチュルチュルしたら、
一気に頭が鮮明になった。
思考や気分に薬が明らかに効く、という感覚はすさまじい。
ああ、自分は病気だったんだなぁ、と感じて少しつらくもなる。

最近、冗談で、
「君はメンヘラホイホイだ」と言われたりして、実感としても、
僕の親しくしている人には
精神疾患を抱えている人が多いという印象はある。
その理由はなんとなくわかる。
認知的不協和」というやつだ。

僕自身も、奥さんもふくめて、
僕が好きになるような人は、
「理不尽を飲み込めない人」が多いのだと思う。
僕らは、「心地よく生きたい」。
だけど、企業で働いたりすると、「心地よくないこと」を我慢しなければならない。
そうでないと、「まとも」とは認められない、お金が稼げない、生けていけない。

今読んでいる本の中で、著者の坂口恭平は、
「お金を持っていないと生きていけないということ自体が狂っている」
と主張する。

僕はそこまで思い切ったことは言えないけど、
毎日電車に揺られて会社に行って、
決められた時間で仕事をして、
与えられた仕事については「責任」をもち、
毎月定められた通りの給料をもらい、
仕事をきちんとこなした「ご褒美」として、
あまりの時間(お休みの日)には、好きなことをしていいと許される。

こういうことが、なんだか違うと思ってはいる。

普段は立派な社会人として振る舞うために、
「なんだか違う」という違和感を忘れたふりをしてすごしているけど、
頭の奥では、違和感がどんどん積み重なっている。
それが「認知的不協和」なのだと思う。