僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

仕事に関するつぶやきまとめ。

最近のつぶやきから、仕事に関するものをピックアップして、並べてみる。

ちょっと脈絡がないけれど、考える種になりそうなものばかり。

 

 

仕事には、「やらなきゃいけないこと」「やった方がいいこと」「やった方がいいかもしれないこと」があると思う。
企画とか営業みたいな仕事だと、特にその差が顕著で、その割合は1:100:1000くらいなんじゃないかと思うんだけど、「やる気のある人」は、それを1101個全部やろうとしてしまう。
僕は体力がある方じゃないから、できるのはそのうちせいぜい100個しかない。
そして僕ががんばるべきは、100個を1000個に増やすことではなく(そんなことしたら潰れる)、「やらなきゃいけないこと」を見極めて決して落とさないようにすることだ。
そのためには100個を30個に減らしたっていい。
「やる気のある人」だらけの環境の中で、「やった方がいいかもしれないこと」に関して、それは優先順位が低いからやりません、と宣言することは、とてもきついことだ。
でも、それができないと少なくとも僕はいい仕事をすることはできない、と経験からわかっている。
経験によって仕事ができるようになる、ということは、自分なりの成長の道筋を理解することなのかもしれない。あ、このやり方では僕は伸びないな、と自覚することも大事。


僕はそもそも、社会にあまりうまく適合できない方で、だからこそ、試行錯誤を繰り返して、まっすぐではない道のりを歩きながら生きている。
でも、僕みたいに「平凡」を選べない人は「非凡」を目指さないといけない、ということになってしまうと、ちょっとつらいな。
今の僕の立場は、既存のシステムが出来上がっている役所に乗り込んで、役所の職員じゃできないようなことでも僕達ならできるぜ、ってうそぶいて、どんどん改革していくことなんだけど。
そういう「非凡さを発揮せねばならない」みたいな環境は、正直言ってすり減ってしまう。
もう少し怠け者に生きたいのだけど。


僕はこれまで、たくさんお金が欲しい、と思ったことはないし、割と最低限のお金で生きられる方だ。
だけど、20代の頃の給料の差は、多い人でも大抵はせいぜい僕の2倍とかくらいだけど、働きだしてから10年目、20年目になってくると桁が違ってくる。
そうなると流石に、住む世界が変わっちゃうよね。
年収が10倍、ってことはあんまりないけど、貯金なら10倍どころじゃない。
少し年上の地元の人なんかが、5000万円かけて家を建てた、とか聞くとどこの世界の出来事だろう、と思ってしまう。
さいわいなことに、僕は家を建てたいと思ったことが今までに一度もないので、別に妬む気持ちもないのだけど、「もし家を建てるとしたら……」という想像さえ、非現実的すぎて考える気が失せてしまうのは、少し寂しい。
僕にとってその想像は、「もし空が飛べたら」と同じくらい、文字通り「雲の上の出来事」だ。
上の世代の人たちとも仲良くなりたいし共感し合いたいけれど、そのあたりの断絶があまりに大きすぎて、なかなか共通理解が難しい。
たとえば「仕事に不満があってもそう簡単にはやめられない」というような感覚、僕にはいつも理解できなかったけど、「30年後に使えるお金が50分の1になっているかもしれない(5000万円か100万円か)」という危機感として捉えると、なるほどそれは怖いかもしれないな、と思う。


今やっている仕事について疑問を感じて、「このままでいいのかなぁ」と思ったら、自分の能力が今の10倍に上がったら、と仮定して、その能力をそこで発揮したいだろうか、ということを考えてみるといいかもしれない。
つまり、今の自分の頑張りの先に、自分の理想とするものがあるかどうか。
せっかく仕事をするならば、その仕事を通して「世界を良くするのに貢献」したい、と僕は思う。
自分の仕事の成果が、自分が考えるより良い世界づくりに役立つかどうか。
逆に言えば、たとえ職場が楽しくて、同僚がいい人でも、自分のやっていることをこれ以上頑張ることに価値はない、と思ってしまったら、僕はそこにいられないと思う。