僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

「こんぺいとうのあまさ」 by 文月煉 @fuduki_ren (お題バトル0516参加作品)

【使用したお題】

日本語、隕石が墜ちる、低気圧、峠道、愛、金平糖、ワイパー、空、飴、雨

 

 

 「100年後に地球を壊滅的に破壊する規模の巨大な隕石が墜ちる」
 それを告げたのが雑誌『ムー』ではなくて、世界各国の主要メディアのほぼ全てであり、予言でも予知でもない「95%以上確実な科学的な予測」であることを人々が理解したとき、文明というのはいとも簡単に崩壊した。
 最初の50年間は、世界はかろうじてそれまでの体制を維持したままで、この未曾有のカタストロフに対処する手段がないか、侃々諤々と議論し合った。やがて、隕石に対処するにはもう数百年ほどの研究が必要であり、とても間に合わないことがわかってしまった。予測が発表されてからちょうど50年後のある日、業を煮やした超大国が、周囲の国の制止を振り切ってメガトン級の核弾頭を積み込んだミサイルを隕石に向けてぶっ放し――未解明の宇宙線の影響によって軌道を狂わされたミサイルが大量の放射線とともに地球に降り注いだ。それからの崩壊は早かった。自分自身では決して対処できない危機に見舞われたとき、人間が取る行動は限られている。逃避か、自暴自棄か、開き直り。
 既存の「社会」は失われ、新たな「社会」が誕生した。こんな状態になっても人は最後の瞬間まで社会を求めるのだろう。国は失われたが、各地にたくさんのコロニーができた。あるコロニーでは街全体を巨大なドームで覆い、空を見えなくした。見えなければ、地球を破壊しに来るという悪魔の姿を忘れることができる。またあるコロニーでは人間大のネズミの人形を新たな「神」とし、神が支配する夢の国で、最後の日まで夢を見て暮らすことを選んだ。そのようにして人々は、期限付きの新たな日常を手に入れていった。

 サクラは、峠道を旧式の四駆で駆け抜けていた。折しも爆弾低気圧が襲いかかり、激しい雨でフロントガラスは盲目状態だ。サクラと同じくらいの歳月を重ねた四駆のワイパーは、とうに壊れて久しい。
「畜生ッ」
 おもわず口から吐いて出る言葉は、いまや世界の共通語となりかけているブロークン・イングリッシュではなく、とうに失われたサクラの祖国の言葉、日本語だった。正確に言えば、サクラの両親の祖国だ。サクラは祖国が崩壊したあとに生まれたから、どこの国籍も得たことはなかった。
 サクラは旅人だった。両親は、祖国崩壊後にできた「自給自足のコロニー」で暮らしている――今も健在なら。枯れた土地でも育つイモを主食として、すべてのものは共有され、個人の財産を持たないコロニー。貧しいが穏やかなコロニーだ。両親はそこでサクラを生み、「わたしたちは静かに最後の訪れを待つんだよ」と自分に言い聞かせるように毎日唱えていた。終わりの日まではあと10年に迫っていた。
 そんな両親の言葉を聞いて、サクラは「冗談じゃない」と思った。両親にとっては、もう十分なのかもしれないが、サクラはまだ生まれてから15年しか経っていない。両親たちの寂しさを紛らわすために勝手につくられ、何も見ず何も知らないままに両親とともに終わりを待つのなんてまっぴらだ。
 だからサクラはコロニーを捨てて旅人になった。地球の壊滅を止める手段か、隕石が落ちたあとも生き残る手段を、見つけ出してやる。もしそれが叶わなくても、ただコロニーで終わりを待つくらいなら、最後まであがいて旅先で野垂れ死ぬほうがずっといい。
 道端に捨てられている旧式の四駆を見つけられたのは僥倖だった。この山を歩いて超えるのは骨が折れる。食料も水も心もとない。
 この峠を越えれば何かがある。そんな気がしていた。ただの願望だったのかもしれないが。

 数日かけて峠を越えたとき、サクラは、あっと声を上げた。いつの間にか雨は上がっていた。黒い雲は山に遮られ、峠の此方側には届かなかったらしい。空に、七色の光が見えた。
「こん、ぺいとう……」
 サクラはつぶやいた。幼い頃、サクラの誕生日に、「みんなには内緒だよ」といいながら父が手渡してくれた小さなお菓子。おそらくは祖国でつくられて、両親が大切に保管していたものだったのだろう。水色や、白や、黄色や、桃色のすきとおったつぶ。空に浮かぶ七色を見て、サクラはそれを思い出した。
 サクラはめまいを覚えた。幼い頃のことを思い出すのは、久しくないことだった。頭に靄がかかったようで、そのころの両親の顔もはっきりと思い出せない。サクラの胸の奥の奥に染み込んだままだったこんぺいとうのあまさが、静かによみがえった。それは、コロニーでつくられ、支給される飴なんかとはまったくちがうものだった。
 あのころの両親には、おそらく。
 サクラは、空に浮かぶこんぺいとうのような光を、目を細めて見つめながら思った。
 まだ、希望があったんだ。まだ、あきらめていなかった。
「わたしたちは静かに最後の訪れを待つんだよ」と、両親が唱え始めたのは、いつからだっただろう。
 たぶんあのときに、失われてしまったのだ。こんぺいとうのあまさは。
「それを、探しに行く」
 サクラはつぶやいて、ゆっくりアクセルを踏んだ。 あのあまさが、愛、とよぶのだとは、サクラは知らなかったけれど。