僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

「開発者」 by あかいかわ @necokiller (お題バトル0516参加作品)

【使用したお題】

日本語、隕石が墜ちる、低気圧、峠道、愛、金平糖、ワイパー、空、飴、雨

 

 

 弟が部屋の片付けをしているあいだ、邪魔になるのでわたしはベランダに出てタバコを吸いながらなんてことはない景色をながめていた。重いものを運ぶ音、叩く音、引きずる音、掃除機の音(掃除機なんてこの部屋にあったんだ)、とにかくひっきりなしに音がつづいて、べつにうるさいとは思わなかったけど、それまでの総じて無音な生活との違いに違和感を覚えていた。
 雨の匂いがしていた。低気圧特有のだるさもあった。日はまだ沈んでいないはずだったけれど、湿度を含んだ闇がぽってりとのしかかっていて、いつ降り出してもおかしくはなかった。分厚い動きのない鈍い雲が天を塗り込めていた。だからその、光の筋は見落としようもなく空をふたつに分割する瞬間をわたしに示した。
 どっかーん。わたしはつぶやいたけれど、音はなにも聞こえなかった。
 しばらくしてガラガラと窓を開け、弟が顔を見せた。掃除、終わったよ。懐かしい日本語の響きにも違和感を覚えてしまう。すでにわたしの耳のデフォルトはマレー語になっているのだといまさらながらに気づく。ほいよ。タバコをもみ消して返した返事が、果たして日本語なのか、どうか、わたしにはいまいち確信がもてなかった。
 部屋は見違えるほど片付いていた。ひょっとして、入る部屋を間違えたのだろうか。くしゃくしゃの下着が転がってもいないし、灰皿代わりの空き缶もない。すげえや我が弟よ。あの短時間によくぞここまで。わたしはベッド脇の棚に飾っていたドロップ缶から飴玉をふたつ取り出して、ひとつを弟に差し出した。好きな方を取りなね。弟は白のハッカ味をつまんで口の中に投げ入れた。それ、わたしが欲しかったほうなのに、という言葉を飲み込んで、何味かわからない赤い飴玉をわたしは口に含んだ。ハッカの味が恋しかった。
 ちょっと座ろうか。弟は口のなかで飴玉を転がしながらすこし改まった声でいった。年下のくせにその言葉にはそこはかとない威圧感があって、わたしはいわれたとおりベッドに腰をしずめる。弟は手近なクッションを引き寄せて、床に座った。いつ帰るのさ。端正な顔でこちらを見据え、我が弟は尋ねる。もう父さんも母さんも何度も呼びかけているけど、姉さんぜんぜん返事しないじゃないか。ふたりとも心配している。このままじゃ、いつ飛行機が止まるかもわからないんだ。帰っれ来られなくなる前に、早く決めてほしい。
 何度もいっていますけれども。わたしは意図的に口のなかの飴玉をカチャカチャいわせ、反面丁寧な言葉づかいで答えた。わたしはもう日本へは帰りません。ここで暮らすのです。もう決まったことなのです。
 べつにここに戻るなというわけじゃない。弟は苛立ちを隠さない表情で反論する。ただ、いまの情勢ではなにがあってもおかしくないんだから、一時的にでも帰ってきてほしい。そういうことなんだよ。事態が収まれば、戻ればいいんだから。姉さんだって、報道を見ていないわけじゃないんだろう?
 わたしは明日の報道を予言するよ。人差し指を突き出して、わたしはまじめな顔でいった。マレー半島に隕石墜ちる。金平糖のようなお星様がひとつ、山のなかに落下しましたとさ。
 馬鹿。さすがに呆れたように、直接的な言葉で弟はいう。茶化さないで、まじめに答えてくれよ。
 わたしがまじめじゃなかったときなんて、いちどもない。わたしはなかばにらみつけるような目で弟を見つめた。あんたをひっぱたいたときも、日本を発つときも、わたしは全部まじめだったよ。
 それにさっき本当に隕石が墜ちたんだよ。唇を噛んで表情を暗くする弟を、ちょっとだけ慰めたくて、わたしは言葉を足した。本当に? 弟は疑いつつもそう尋ねる。本当に。わたしは自信たっぷりにそう答える。
 そしてわたしたちは隕石を確かめに行くことになった。

   *  *

 車に乗るとほぼ同時に雨が降り出した。ポツリ、から始まって滝のような豪雨に至るまでの時間の短さが実に東南アジアという感じ。ワイパー最大出力でテンションもあがって、わたしたちは出発する。安全運転でね。なかばあきらめたような弟の声がか細く聞こえる。
 市街地はすぐに山道へと入る。曲がりくねった道をドリフト気味にこなすたびに弟が悲鳴のような声を上げる。でもじきに道幅は広くなりカーブの数もすくなくなって、弟はゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
 隕石はどのあたりに墜ちたの? 体の緊張は維持したまま、声だけは平静を装って弟は尋ねた。もうひとつ先の山のあたりと思う、とわたしは根拠のないことをいう。とりあえず、近かったよ。弟はちいさく咳払いをしたあと、でも音はなにも聞こえなかったけどな、とちいさくつぶやく。
 最新兵器なのではとお姉ちゃんはにらんでいるよ。冗談めかしてわたしは口にする。我が機械兵士軍の秘密の最新光学殲滅兵器。光に包まれると人は死ぬ。爆薬ではないので、諸々の条約違反にはならない。ハッピー。
 息を止めて、弟はわたしの顔を見る。
 ワイパーが叩きつける粒の大きな無数の雨を払い落とす。
 姉ちゃんのせいじゃない。押し潰すような声で弟はつぶやく。機械兵士の反乱はただのバグだ。人為的な原因じゃない。姉ちゃんはただ自分の仕事をこなしただけで、それは基本的にな人間生活を豊かにするためにやったことだ。悪いのは、それを悪用したやつらだ。姉ちゃんの開発した環境保全型思考システムは、機械兵士に組み込むべきものじゃない。そんなあたりまえのことを無視したやつらがいる。そこから不測のバグが発生した。そのことについて、姉ちゃんが責任を感じる筋合いなんて、ひと欠片だってないんだ。
 マレーシアはいいところだよ。わたしはできるかぎり緩んだ声をつくってそうつぶやく。植物の色が濃くて、花も面白いのがたくさん咲く。ついつい写真に撮っちゃうんだ。ここにしか咲かない珍しい花もたくさんある。週末は、そういう植物園に遊びに行くととても心が晴れるんだよ。
 姉ちゃん!
 機械兵士は敵じゃない。わたしは静かな声でそうつぶやく。バグがあったとしたら、それをなんとかできるのは、開発者。当たり前のことなんだよ。あんたたちがわたしを心配してくれるのはすごくわかる。愛だ。家族愛だ。それに応えられないことはとても心苦しいよ。でもね、別の愛もある。わたしは自分の生み出したものが、不幸になることに耐えられない。悪用されようとなんだろうと、あの思考回路はわたしの作品なんだ。作品であり、子どもなんだ。そこには愛がある。わたしはあの子たちのことも、守ってやりたいんだよ。
 車は峠に差し掛かった。その先に、もうひとつの山が見えるはず。さて、わたしの子どもである機械兵士たちが放った最新の殲滅兵器の実力や、いかに?
 愛してるよ、あんたのことも。嗚咽をなんとか押し殺してなく我が弟に、わたしはささやく。涙をこらえよう。この先わたしたちをどのような未来が待ち構えているとしても、わたしは涙なんて流さずに、愛を絶やさずやってやるのみ。