新天地にて決意表明的ななにか。
ようやく一息ついたので、近況報告でも。
7年住んだ神奈川県川崎市の家を出て、見知らぬ土地、長野県に引っ越してきた。
生まれたのは横浜、これまで住んだことあるのは東京で、いわゆる「首都圏」から出たことがなかった僕。
生まれて初めての、首都圏外での生活がはじまる。
正直言って、まだまだ実感がない。
家の中は少しずつ整って快適になってきて、これまでとそんなに変わらない感じなんだけど、
ふと窓の外に目をやったり、一歩外に出たりすると、今まで見たことがない光景が広がっている。
どちらを向いても山、歩いている人はほとんどいない、日が落ちたら真っ暗。
それは例えば、学生の頃に部活の合宿で河口湖のあたりの民宿に泊まったときや、
週末の旅行で、恋人とペンションに泊まったときのような光景で。
まだここが我が家だとは思えず、引っ越しから4日経っても、長めの旅行に来ているような気分。
これが自分の日常であり、ここが生きていく土地だと実感するようになるには、
どれくらいの時間がかかるかなぁ。
僕の最近の交友関係は、ここ5,6年に神奈川でつながった恋人たちや友人たちが中心で、
首都圏に住んでさえいれば、会いたいときに会える人たちが20人くらいはいた。
そんな恵まれた状況だから、決して首都圏での生活に不満があったわけじゃなくて、
むしろそのままでいれば暖かくて穏やかな暮らしを続けられただろうと思う。
もちろん長野県に来たからと言って、今までの交友関係がなくなるわけじゃないけれど、
これまでのように気軽にみんなが集まってくるのは少し難しくなるだろう。
それなのにどうして僕はわざわざ居心地のいい場所を飛び出してきたんだろう?
新しい場所で、今までのようにいろいろなことが通用するとは限らないのに。
理由のひとつには、今までにない体験がしたい、という気持ちがある。
僕はとても飽きっぽくて、いつも新しいことを求めている。
一度しかない人生で、あれもこれも見てみたい、ためしてみたい。
新しい体験をするためには、今までと大きく変わるところに自分を置けばいい。
そうすれば、何もかもが新しく見える。
そしてもうひとつの理由は、僕がこれまでの人生でたいせつにしてきた、
「人の居場所づくり」ということを、もう少し大きな範囲に広げたい、という思いからだ。
神奈川で僕が定期的に開いていた自宅でのイベント、「煉’s Books & Bar」は全15回、
参加者の延べ人数はおそらく、200人くらいにはなった。
かなりの数の人にとって、我が家は「安心できる居場所」になっていたと思う。
その経験をほんの少し、「社会」にも広げてみたい、というのが僕の新しい試み。
経済を中心に回っていて、何事にも効率と競争が求められる「首都圏」の外側に、
世の中の主流から少し外れた人たちの居場所をつくる。
それぞれが「自分のしあわせ」を探し出して、誰に気兼ねすることなく笑って生きられるように。
僕は決して自己犠牲やボランティア精神にあふれた人間じゃないから、
世のため人のためにこんなことを言っているわけじゃないよ。
あくまでも自分のために、自分がほしい居場所を、現代の日本の社会につくりたい。ただそれだけ。
寿命が尽きるその瞬間に、僕が生きているこの世界が、
僕が生まれ落ちたそのときよりも、僕にとって心地よい場所であってほしい。
それだけのために、僕は僕の歩む道を、選んでいくよ。