僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

依存気味のTwitterを、ちょっとおやすみ。

昨日、Twitterでこう宣言して、スマホからTwitterのアプリのショートカットを削除した。
ふと気がつくとすぐにタイムラインを眺めてしまって、
一日のつぶやきを全部追いかけようとしてしまって、
それがかなりの時間を浪費してしまっているように感じていたし、
最近僕自身がストレスを感じているので、刺激はなるべく減らしたいと考えたのだ。

そして今日、まだ一日も経たないというのに、
たびたびTwitterを開こうとしてしまう僕がいる。
普通に生活していても「あ、これTwitterに書こう」と思ってしまったり、
ごはんを食べ終わってぼーっとしているとき、
Twitterのタイムラインを眺める、ということをしないでいると、
手持ち無沙汰でやることがないと感じてしまったりしていた。

なんという依存!
せっかくいい機会なので、どうして僕がこんなにTwitterに依存してしまっているのか、
自分なりに考えてみよう。

ひとつはやはり、「つながりを欲している」からだろうな。
僕は4月に長野県という、縁もゆかりもない土地にやってきて、
慣れない仕事をやっている。
職場の人たちはとてもいい人だけど、
僕はここまでの人生で築いてきた「自分なりの世界」がわりと強固にあるので、
それを出会って間もない人たちと共有することは難しい。
僕が腹を割って心から話せる人といえば、奥さんの他はみな、離れたところにいる。
となると、「話したいけど話せないこと」が毎日おなかの奥にたまっていって、
ちょっと苦しくなる。そういうときにTwitterで吐き出せば、
タイムラインの向こうには、気心の知れたフォロワーさんがいて、
すぐに反応してくれる。
これがよいことなのかどうか難しいところだけど、
僕ははじめからネット上の「文月煉」という人格を、
「言いたいことを何でも言ってしまう存在」として作り上げているから、
何も気にかけずにすべてを書き込めるTwitterは、とても心地がよい。

つぶやく方だけじゃなくて、タイムラインを眺めることも、僕には魅力的だ。
そもそも活字中毒気味の僕は、いつでも「言語」を、
そしてその奥にある「思考」を求めている。
いろんな思考に触れるという知的好奇心が、
僕のアイデンティティを形成しているといってもいい。

しかしそんな偉そうなことを言いながら、日々の忙しさにかまけて
「めんどくさいことはしたくない」という怠け心も僕の中にははっきりとある。
というかむしろ、僕は類い希なる怠け者といっていい。
いつも楽することばかり考えて、面倒なことは逃げ出したいと思っている。
楽をして満足したり、楽をして欲求を満たせたら万々歳。
そんな僕にとってタイムラインにあふれる「言葉」たちは、
ファストフードのようなものだ。
長い本を読み通すのはめんどくさい。
そんなことせずにお手軽に「思考」に触れて、とりあえず知的好奇心を慰めたい。
そんな欲求に応えてくれるTwitter

とはいっても、僕はこれまで自分がTwitterに、
依存してきたことを後悔しているわけではない。
憂鬱気味で、腹の中に黒いものをためていたとき、
狭い世界でがむしゃらになっていることにむなしさを感じていたとき。
Twitterは僕を確かに助けてくれていた。
だからこれからも使い続けたいと思う。

ただ、あまり依存していると、知らず知らずのうちに疲れはててしまうので、
ときどき距離を置いて、ほどほどにね。