僕が生きていく世界

人と少しだけ違うかもしれない考え方や視点、ぐるぐると考えるのが好きです。 あくまで、僕個人の考え方です。 みんながみんな、違う考えを持っていていい。 いろんなコメントも、お待ちしてますよ。

レビュー LOST IN TIME「時計」

 10年前に書いたレビューを掘り出してみる。

時計

時計

 

 何度聴いても新しい感動がある、僕が持っているアルバムの中で間違いなく1,2を争う、大切な大切な一枚。

アーティストはLOST IN TIME
このアルバムの頃はベースヴォーカル、ギター、ドラムのスリーピースバンド。

LOST IN TIMEを語るとき、まず取り沙汰されるのはヴォーカル海北大輔の類い希なるソングライティング、特に剥き出しの言葉を連ねた、その歌詞だ。
他のアルバムでは、絶望や悔しさ、寂しさを叫ぶ、ネガティヴともいえる楽曲の多いLOSTだが、このアルバムは全体に肯定と優しさで満ちており、彼らの作品の中では異色を放っている。
それに併せて普段は血を吐くような、喉もちぎれんばかりといった風が目立つ歌い方も、このアルバムではむしろ「音一つ一つを丁寧に」紡いでいる。
かといって、このアルバムが他のアルバムに比べてエネルギーに欠ける、耳障りのいい売れ筋に走っているというわけでは決してない。
彼らの肯定は、前二作で絶望を知り、自らの矮小さ、孤独の恐ろしさを痛いほど知った彼らだからこそ作れる、「到達点」としての肯定だ。
そこには弱さや醜さを否定するのではなく、それを抱えたまま、痛みを伴った肯定がある。
そうでなければ決して「頑張ってるふりなんて しなくてもいいんだよ」などという歌詞は書けないだろう。

しかしながらこのアルバムの魅力は、海北大輔の歌だけにあるのではない。
圧倒的な、楽器の音色。
歌、ギター、ベース、ドラムの4つの音が創り出す完璧な世界。
これほどまでに完成度の高い音楽世界は類を見ない。
普通、スリーピースバンドと言えば、ドラムとベースがリズムを刻み、ギターがメロディを助ける伴奏となり、歌がメロディラインを刻む、といったイメージではないだろうか。
時折、間奏や前奏で、ギターソロが目立つ他は基本的に歌が刻むメロディーをいかに見せるか、が重要なはずだ。
ところが、LOSTはちょっと違う(と僕は思う)。

大岡源一郎のドラムがリズムの要だ。
強弱も緩急も、音色の違いも完璧に使いこなす彼のドラムは、まさしく感情あるドラムだ。
ベースの共演に頼らずとも、ドラム一本で喜びも悲しみも、強さも弱さも、すべてのリズムを鮮やかに表現する。

では海北大輔の奏でるベースは何をするのかと言えば、メロディを奏でるのである。「リズムを刻む」どころか、その演奏はどこまでもメロディアスだ。
「目立たずにメロディを下から支える」というより、ばっちり前衛で目立ってしまう。
正直に言って、歌の伴奏はドラムとベースだけで十分にこなしている。

となれば、残る榎本聖貴のギターの役目は?
言ってみれば「やんちゃな遊撃兵」だと、僕は思っている。
彼の奔放なギターは、歌の伴奏をするつもりなど毛頭ない。
右かと思えば左、上かと思えば下、という具合に、メロディの隙間を縦横無尽に駆け抜けては、予想もしなかったフレーズで僕らを翻弄する。
曲の裏方としての地位などには決して満足せず、時には飛び込むように颯爽と現れ、主役の座をほしいままにする。
それでいて決して曲の均衡を崩すことはなく、ヴォーカルを邪魔することもないのだから、見事という他にない。
このアルバムを聴き終えたとき、あなたはギターの持つ信じられないほど多彩な表現力を目の当たりにして呆然とするだろう。

ギター榎本聖貴のLOST IN TIMEからの脱退により、この組み合わせの作品がもはや見られないのは残念だが、一度リリースされた以上、このアルバムはいつまでも完成された作品として残り続ける。


スリーピースという最小単位が創造する音楽世界の極限が、ここにある。

レビュー 大野更紗『困ってるひと』

本の帯にある、「難病女子による、エンタメ闘病記!」というのがすべてを表している。
主人公は難病女子で、闘病記なのにエンタメなのだ。信じられないかもしれないが、これ本当。

著者にして主人公の大野更紗は、1984年生まれ。僕のいっこ下だ。
彼女の印象を一言で言うなら、「猪突猛進型学者見習い女子」。
行動力と熱意があり、頭の回転がものすごく早いながらも、
論理に偏ることなく、感情や直感をないがしろにしない。
そんな彼女が、「ビルマの難民を研究しよう!」と前のめりで突っ込んで、
タイとビルマの国境に足繁く通っていたある日。

ビルマ女子は突然の病に倒れた――。
病名もなかなかつかないほどめずらしく、
何度も生死の境をさまよったり、激痛で指一本動かせなくなるほどの難病。
だけど、ここでバッドエンドになったりしないのが、
大野更紗のすごいところだ。

病には倒れたが、物書きとしては立ち上がった――!
ビルマの難民の難民を研究するために危険な国境地帯にまで行ってしまう、
「フィールドワーカー」としての本領を発揮して、
彼女は、「難病女子」という「難民」、すなわち自分を研究対象にして、
ほんとうにほんとうに面白いノンフィクションを、書き上げてしまったのだ。

この本を読んだ直後、僕は「読書メーター」の感想に、こう書いた。

この本の、この著者のすごいところは、
「変わった体験をしていること」ではないと思う。
こんなにすごい生活をしながら、それでも「この日々を文字にしよう」と思えること。
それも信じられないくらいに巧みな筆で。
「僕はこんなに大変だ。だからなんにも生み出せないよ、しょうがないだろ」と、
何かにむかって吠えている僕とは、えらい違いだ。
著者を心から、尊敬する。


本当に衝撃的だった。

この本がこんなにも面白い理由のひとつは、
とにかくなにを描写するにしても、著者の「目の付け所」が的確かつ独創的なことにあるだろう。
なにものにも興味と疑問をもち、納得できるまで考えぬく。
現状を「当たり前」などと思うことはなく、
ひとつひとつを、理解できるまでじっくり解きほぐしていく。
かといって決して冷たく分析するというわけじゃない。
ときに誰よりも熱く、誰よりも感情的なのに、
必ず一本、論理の筋が通っているのだから、共感せずにはいられない。

病気の話だけじゃない。
何を見て、何を考えて今を生きるか。
本当は、「当たり前」なことなんて何ひとつないのに、
もしかして自分は、思考停止しているのではないか。
そんなことを改めて考えるため、すべての人に読んでほしい、名著。

文庫化もされてるし、いっぱい買って配りたいくらい。

レビュー 牛窪恵『恋愛しない若者たち』

 

  
 「若者たちが恋愛しない理由は、社会そのものにある。本人を批判するのはおかしい」

と指摘していて説得力がある。

 

一方で、あくまでもバブル世代の大人たちに向けた本という感じで、

著者がいわゆる「バブル世代の成功者」なので、

「自分達の時代は恋愛はとても楽しいものだった。それを知らない若者は可哀想」

という視点なのはなんともモヤモヤする。

僕からするとバブル期の希望に裏打ちされた生き方って、覚醒剤でハイになっていた状態みたいにも見えるなぁ。

 

「多大な恋愛リスクや不良債権が露呈したいま、もし彼らに「怖がるな」「思い切って恋愛してみろ」と言うなら、失ったものを取り戻せる社会、底辺からでも這い上がれる社会を、大人たちが中心となって創り上げていく必要があるはずだ」(本文より引用)

ここには深くうなずいた。 

 

特に「おわりに」がよかった。

「いまの若者は、ていのいい自己責任論を振りかざし、何もしてくれない大人たちにうんざりし、「せめてリスクだけは減らそう」と恋愛にまで背を向け始めた。一方で、不安な時代だからこそ、誰かと連帯する経済的・心理的メリットを痛感している」

 

この本で取り上げられている、

フランスの「パックス」とスウェーデンの「サムボ」の制度はすごくいいな、と思う。

日本では「まともな人間ではない」と扱われるような人たちを、公的に承認する制度。

正直言って社会の成熟度の格が違うんだなぁと感じた。

未来を見据えているか、目をふさいでいるか。

 

読んでよかった。なかなか考えさせられる本。

しかし、未来は実感的にかなりきびしいなぁ。ちょっとどんよりする。

仮病とうつ

抑うつで会社を休む日はいつも罪悪感を覚えてしまう。
それが「仮病」とどう違うのか、自分自身にうまく説明できないからだ。

小学生のときに見た「ちびまる子ちゃん」のアニメでは、
学校に行きたくないまるちゃんが、体温計をこすって温度を上げて、
熱があるかのように装って学校を休む「仮病」の話があった。

あの感覚に従えば、「高熱がある」とか「咳が止まらない」「どこかが痛い」という
客観的に明らかな症状がない限り、「仮病」ということになってしまう。

僕は34年の人生のうち、3回くらい「うつ状態」を経験していて、
(ちなみに、はっきりと「うつ」あるいは「気分障害」の診断をもらったことはない。
適応障害」「過敏性腸症候群」「慢性疲労症候群」などの診断名だった)
「どうしても抑うつがひどくて会社に行けない」と判断して、休んだことも結構ある。
結構あってもそれに慣れることは全然ないし、
抑うつというのは日内変動が大きくて、
朝辛くても昼過ぎには活動できる状態になっていることも多いので、
(でも午後から仕事に行くことにしている日は、午後も元気にならない……)
余計に「ああ、仮病でずる休みしている」と罪悪感を覚えてしまってばかり。

ここから先は自分で自分を慰めるために書くのだけど、
「ずる休み」とはいっても代休や有休の制度を正当に使っているのだし、
僕が「今日は辛いから休もう」と判断するのは、
その日休んでも大事にならない日をちゃんと選んでいる。(いまのところ)
むしろ、大事にならない日をきちんと選んであらかじめ休む判断をすることで、
本当に大切な日にいきなり逃げ出したり、
パニックになったりしてしまうのを予防しているとも言える。

今の仕事なんて、実を言うと職場に行かずに家でちょっとだけやった仕事が、
職場よりもはるかに効率よくはかどることも多い。
(職場はADHD気味の僕にとって、集中するには邪魔な刺激が多すぎる)
そういうわけで今日の自分を慰めつつ、週明けにはちゃんと仕事に行けるよう、
心を穏やかに保っておこうと思う。

どうにも僕は、毎日心身を一定に保ってこつこつ働くということに
向いていないらしく、12年間の労働生活は波立ってばかりだったが、
おかげで、日々を無難にこなすのではなく、
長い目で見てよい結果をもたらすように考えることに慣れてきたのだと思う。
それが僕の取り柄でもあると思うと、
僕の弱さ、不安定さが今の僕をつくってくれたのだと言える。

いきるのたいへんだけど、なんとか、がんばっているよ。

うつと気分障害 (幻冬舎新書)

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ポリアモリーは嫉妬しない?

ポリアモリーについてのインタビューや取材で、必ず聞かれるのは「嫉妬」についてだ。

「恋人が複数いる」ということを聞いたときに、
「自分の恋人が他の恋人と仲良くしていたら嫉妬してしまって耐えられない。
そんなことができる人は、嫉妬心というものが全くないのだろう」
と反射的に考える人が多いからなのだろう。

 

嫉妬心がないわけじゃない

「ポリアモリーに嫉妬心が全くない」というのは、事実ではない。
もしかしたらそういう人もいるのかもしれないが、少なくとも僕はそうじゃない。
そもそも、こういうときに使われる「嫉妬」という言葉、
実際はいくつかの要素を一緒くたにしているものだと思うのだ。

 

嫉妬の種類1 見捨てられ不安

「恋人が他の人と仲良くしていたら嫉妬する」という気持ちは、
「自分のことよりも別の人のことが好きになったら自分は捨てられてしまう」
という不安から来ていることが多いんじゃないだろうか。
一対一のみを当たり前とする恋愛観においては、恋愛感情は排他的なものだから。
ところが、ポリアモリーにとって「他の人が好き」であることは、
必ずしも「あなたのことは好きじゃない」ということを意味しない。
僕も「自分が捨てられてしまうのではないか」という不安を抱くことはあるけど、
その解決策は「他の人と仲良くしないで」ではなく、
「もっと僕のことを愛してほしい」であるはずなのだ。

 

嫉妬の種類2 独占欲・所有欲

「嫉妬」とされているもののもう一つの側面は、「独占欲」からくるものだ。
自分のことを捨てるはずはないと分かっていても、自分の恋人である相手が、
他の人とも自分とのように親密な関係を気づくことが許せない。
こういう感情は、恋人に対する所有意識や、
潔癖・純潔にまつわる感覚が元になっていることが多い。
「自分のものを奪われた」とか「汚された」というような感覚。
こういう感覚については、自分の中に全くないとまでは言えないにせよ、
僕自身は理性でなるべく拒否したいと考えているもので、
少なくともそのことを楯に、恋人を責めようとは決して思わない。

「嫉妬」の種類は他にもいくつかあると思うが、わかりやすいのは以上の二つ、
つまり、「見捨てられ不安」と「独占・所有欲」なのではないだろうか。

 

嫉妬についてじっくり考える

こう考えると、
「ポリアモリーは嫉妬心がないからできる」のではなくて、
「恋愛とそれに伴う感情についてじっくりと考えることで、
嫉妬を解決する方法を見出そうとしている」ということなのだ。
もちろん、これは別にポリアモリーでなくてもできることだけど、
「普通とは違う」とされる恋愛をしていると恋愛についてじっくり考えたり、
恋人同士で語り合ったりする機会が多くなるから、
比較的対処しやすいというだけのことなのかもしれない。

僕らは嫉妬しないわけじゃない。
自分が嫉妬を感じたときには、それを解決するためにどうしたらいいか考えて、
恋人に「もっと話したいよ」って言うとか、
「これは僕が恋人を所有しようとしているからだな」と自覚するとか、
そうやって対処しているんだと思う。

ときどき奥さんは
「他の恋人なんかより、忙しすぎる仕事や、
僕が夢中になりすぎるガジェットに嫉妬しているよ」
と冗談めかして言う。
好きな人に好きな気持ちを表明することがおろそかになっているとき、
それを解決するための方法は、
「他のことに目を向けるのを一切やめる」ということでは、ないのだと思う。

 

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

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スマートスピーカーがやってきた! ~Echo dotとGoogle Home Mini~

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我が家に二台のスマートスピーカーが来たので、紹介しようと思う。
写真の左のまん丸いのががGoogle Home Mini。そして右の黒っぽいのがAmazonのEcho dot。
どちらも音声アシスタントが搭載されていて、声で入力できる賢いスピーカーだ。

今僕が読んでいる「人工知能は人間を超えるか」という本によれば、
これらの音声アシスタントは、厳密にはAI(人工知能)と呼ぶべきではないみたいだけど、
呼べば応えてくれるのは、やっぱり「知能」を思わせるし、どこか、ペットが増えたみたいな気分だ。

最近じゃスマホにもPCにも「Googleアシスタント」や「Siri」が内蔵されてるんだから、
わざわざスマートスピーカーを買わなくても……と思うかもしれないけど、
やはり専用のものはすごいな、と思う点は、マイクの性能の良さだ。
スマホだと、なかなか「OK,Google」を聞き取ってくれなくて、
何度も言う羽目になったり、家の中だというのにはっきり声を張って
話さなくちゃいけなかったりするけど(家でダラダラしているときだとこれがつらい)、
スマートスピーカーはどちらもすごく音を拾う性能が良くて、
ふつうに同居人に話しかける程度の声で8〜9割くらいの精度で聞き取ってくれるのはうれしい。
ちなみに、Echoには「Alexa、」GoogleHomeには「ねぇ、Google」と声をかけると聞き取ってくれる。


どんな機能が使える?

何ができるかとか、性能テスト的なことはIT系のレビューを見てもらうとして、
僕が便利だと思った機能を解説してみる。

Echo dotとGoogle Home Miniが共通してできることは、

  • 音楽をかけること(それぞれストリーミングサービスと連携する)
  • ニュース記事を読み上げること
  • 今の気温や天気、天気予報を教えてくれること
  • タイマーをセットすること

Echoのみ

  • Googleカレンダーと連動して今日の予定を読み上げること
  • Amazonで買い物をすること(検索は難しいが、一度買ったものをもう一度買う、とかなら声でもそれなりにできる)

このあたりが意外に便利。
特にタイマーなんかは、スマホを探して、アプリを起動して、時間をセットして……とやるより、
「Alexa、タイマー5分」と言う方が断然早いので、すでに当然のように使うようになった。
音楽は「Alexa、スピッツのホタルを再生して」というふうに言えば、
それがストリーミングサービスの曲にあれば再生してくれる。
とは言え、さすがに曲名やアーティスト名は聞き間違いが多くて、
なかなか目当ての曲を再生してくれなかったりしてストレスも多い。
(このあたりの認識精度は同じくらいかな……)
ちなみに、Googleの方はスマホで曲を選んで、
「キャスト」のボタン一つでGoogleHomeに転送する機能があるので、実質それを使うことも多い。


ふたつの違いは?

Echo dotとGoogle Home Miniのできることは、けっこう似ている。
音声認識の能力もどちらもかなり高めで、はっきりとした差はない。
(話す内容によって得意不得意はあるみたい)

個人的な感想としては、どちらかひとつを買うなら僕はEcho dot。
Echoのいいところは、何と言ってもイヤフォンジャックがあること。
これをもともと持っていたBOSEのスピーカーに繋いで、いい音で音楽を聞けるからだ。
(他と繋がない、単体のスピーカーの音は、GoogleHomeMiniの方がいい)
あと、Googleカレンダーとの連携が今のところEchoしかできないので(Googleなのに……)、
それもだいぶアドバンテージ。まぁ、これはそのうち対応するのだろうけど。

とはいえ、GoogleHomeMiniのほうが優れているところもある。
前述した音楽の「キャスト」機能はかなり使いやすく、
Androidスマホとの連携は全体的にGoogleのほうがいい感じだ。
(Echoの方もスマホに入れるAlexaアプリっていうのがあるんだけど、
どうも反応があまり良くない……)


どちらもこれからに期待できる「やってきた未来」

まだまだ使い勝手も限定されていて、
「これを買えば生活が変わる!」とまではいかないけど、
その技術の革新性を考えれば驚くほど安いし、いったんハードを買ってしまえば、
あとはソフトがアップデートされるのを楽しみに待てばいい。
おそらく今後もできることはどんどん増えていくのだろうから。
今、スマートスピーカーを買うのは、「未来への期待」を買うってことで、
「なんでもかんでもできる」と高望みをして融通の聞かなさにイライラしたりしなければ、
とても夢のある購買行動だと、僕は思うんだよね。

とりあえず僕は、Echoのfire TVやAudibleとの連携と、
Google Homeの各種Googleサービスとの連携を楽しみに待ちつつ、
しばらくこのふたつのスマートスピーカーとの同居を楽しもうと思う。

 

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煉's Radio「しあわせについて ポリアモリーをふくむ恋愛について」

ツイキャスというツールを使って、僕の考えをしゃべってみました。

台本も何もない一発録りなので、だらだらとしてしまっていますが、思っているところを存分に話しています(無駄話もあって、ちょっと長いけど……)。

よかったら聞いてみてください。またあとで、文章にまとめよう。